躑躅の木の道で「学校に行かないことは悪いことなのか」と言ってしまったらこれからの教育はどう変わってしまうのか、僕なりに何日か考えた上でのやや気恥ずかしい忘備録のようなもの

どうも、りょうかんです。

先日、女性高校教員の方と討論になりました。(ほとんど言い争いのレベルですが)

『 学校に行く必要性はなくなってきているのか 』

この題について、自分なりの考察をしてみたので、忘備録として残します。

※タイトル同様、文章も長めです。(タイトルはAKB48の曲名のパロディ)


 

主張理由の整理

まず、お互いがその意見を主張する理由をまとめてみました。(討論の流れを振り返り、私の主観でまとめたものである点は考慮願います)

私の主張

立場肯定(学校に行く必要性はなくなってきている)

理由

  • 学校で学ぶことの大半は学校に行かなくても学べる環境が整ってきている
  • 学校で画一的な授業を受けてても学べないこともたくさんある
  •  学びの場は学校に限らなくてもいい

女性高校教員の主張

立場否定(学校には絶対に行かなくてはいけない)

理由

  • 学校でしか学べないことがある
  • 恵まれない親を持つ子どもとの教育格差が生まれる
  • 公教育が無ければ最低限の生きる力や人格が育たない

 

学校でしか学べないこととは何か

まずは両者の意見が真っ向からぶつかる部分。学校で学ぶことは、「学校外でも学べる」のか「学校でしか学べない」のか。

それを判断するのに、そもそも「学校で学ぶこと」とは何か、を整理してみました。

学校で学ぶこと

  • 主教科(国数英理社)
  • 副教科(音楽・体育など)
  • 集団行動(ルールを守るなど)
  • 友達との交わり(遊びなど)

主にはこの4つかと思います。(だたし、これは女性高校教員の彼女の意見は含まれず、私個人の意見のみです。それ以外にあったら、すみません。)

さて、これらは学校でしか学ぶことが出来ないことでしょうか。

主教科について、義務教育の中学校までは(学校に行かなくとも籍はあるはずなので)教科書が国から無償で給与されているはずです。教科書が無償で手に入るのであれば、学校に行かずとも自習などで学ぶことは可能なはずです。わからない部分は、周りの人に頼って聞けば教えてくれるでしょう。(中学生までの段階でそこまで出来る人はほぼいないと思いますが)少なくとも学校でなければ学べないわけではないはずです。高校以上の内容については、インターネットも十分使える年齢だと思います。そうなればYouTubeに大量にUPされている動画で学ぶことも可能になるでしょう。お金のない事情があったとしても、周りの人に頭を下げれば古いPCを譲ってくれる人が多くいるでしょうし、フリーWi-Fiも至る所で飛んでいるので、お金をかけずにネット動画で学ぶことは出来ます。大学の講義になれば、それこそ世界中の講義が見れるようになってきています。

【参考】世界の名門大学の授業をネットで受けられる無料教育サイト(MOOC)で自宅留学副教科についても – NAVERまとめ

【参考】だれでも無料で受験勉強できる場所 | manavee

副教科についても同じように言えます。副教科の知識の大半はGoogle先生に聞けば1分以内に知ることが出来るようになりました。実技部分も、基本的なことは周りの人に聞けば教えてくれるでしょう。もっと深く学びたいと思えば、ある程度まで自力でレベルを向上させた上で、その道のプロ(のような人)に直接コンタクトを取って学ばせてほしいと頼むことも可能です。(教育三法とか読んだことないので)副教科を学ぶ理由が何と定義されてるのか知らないですが、少なくとも学校でなければ学べないわけではないと思います。

集団行動に関しては、社会に出ればある程度の集団行動のルールは言わずもがな学ばざる得ない状況に陥ります。学校に行かず、上記のように自ら学ぼうとする人にとっては、学校という場以上にそのことを痛感する日々になるでしょう。人にお願いしていれば最低限の礼儀作法を学ぶでしょうし、知らない人と会う機会が増えれば増えるだけコミュニケーションスキルは向上していきます。学校の教員の立場からすれば「集団行動を学ばせてから社会に送り出すのが責務」と感じるんでしょうが、生徒本人からすれば学校のような常に同じ人と過ごす空間で過ごすより社会の荒波の中の方が、リアルに学ぶことが出来るはずです。その意味では、自らそちらを選ぶことを咎める必要はないでしょう。

友達との交わりに関しては、学校に行くことの優位性はあるでしょう。私自身、小中学校の頃は学区外に習い事に行く時間が多かったので、他校にも多くの親しい友達はたくさんいました。しかし、それは学校に行かずに出会えたものではなく、学校が終わった放課後や休日に出会った人たちです。自分以外の同世代のほとんどが学校に行っている以上、その時間帯に同世代の友達と交わる機会は圧倒的に減ってしまいます。

このように、友達との交わり以外は学校に行かずとも学べるはずです。友達との交わりについても、学校に行かない子どもが増えてくれば話は変わってくるでしょう。もちろん、上記のようなことを未成年の子どもが全て自立して出来るのは難しいかもしれません。周りの大人のサポートも必要になってきます。そう考えると女性高校教員が理由に挙げた「恵まれない子どもとの教育格差」に繋がると言えるかもしれません。(これについては後述します)

それでも「学校で学ぶことの大半は学校に行かなくても学べる環境が整ってきている」という主張自体は筋違いではないと考えます。

 

教育格差は広がるのか

女性高校教員の彼女は「恵まれない親を持つ子どもとの教育格差が生まれる」という否定理由を述べていました。

子に興味がない親、子に適切な教育を与えられない親、バイト代を巻き上げる親、授業料が払えないのにベンツに乗る親、etc……

学校に行かずに学ぶことを認めてしまうと、そんな親の元に産まれた子どもと受けることの出来る教育に格差が生まれてしまう。そんなのはダメだ!ってことです。

Wikipediaには「教育格差」について、このように書かれています。

日本においては、この格差には大きく分けて二つあり、一つは総合選抜入試やゆとり教育によって没落した公立校とハイレベルであるが学費も高い私立校の格差、もう一つはハイレベルな塾や予備校へ通うことができる都会とそれができない地方との格差である。これら二つの格差の共通項は、「どの親の元に生まれたか」によって大きな格差が生まれるという点である。日本においては、いずれの格差も最終学歴に大きな影響を及ぼし、最終学歴がその人の人生を左右する割合が大きいため、教育格差は世代を超えた格差の固定化につながる危険性が大きいとされている。

Wikipedia

要は、「公立と私立」「都会と地方」の間で教育格差が生じていることが問題だということです。

それを解決しようと立ち上がっているのが、先述の各種授業が無料で受けられるサイトであり、このようなサイトの登場によって恵まれない子ども(地方に住むお金のない家庭の子ども)でも平等に教育を受けれらる環境は整いつつあると思っています。

【参考】「お金がかかるのは変」 無料の受験動画サイト「manavee」作った東大生 プログラミング未経験から5万人が使うサイトに – ITmedia ニュース

ただ、確かに右も左もわからない子どもが学校に行かずに学ぼうと思うと、先述したように周りのサポートは必要になってくるので、その意味での教育格差は多少なり生まれてしまうでしょう、そのことに対して、現状では公平な対策を思いつくことは出来ませんでした。

教育現場の人間からすれば、このように学校に行かずに自ら学ぶことを認めてしまうと裕福な家庭の教育環境が圧倒的に有利になってしまうことを恐れているのかもしれません。でも、それは現状でもそんなに変わらないのではないかと思います。(大抵は受験勉強のためのものでしょうが)

学校に行かない選択肢を持つことでメリットが多いのは、寧ろ家庭環境が恵まれてない子どもの方ではないでしょうか。今まで公立校に通う以外の選択肢がなかったのが、学校に行かずにネットで学ぶ、学校に行かずその道の専門家の元で学ぶ、そういう選択肢を持つことが可能になるんです。喜ばしいことだと思えます。

教育現場全体に起こりうる最悪のケースを想定すれば、学校に行かないことを容認することは難しいかもしれませんが、子どもの立場からすれば(選択するかは別として)選択肢を持っていることは非常に大きなメリットになると思います。

寧ろ、「教育格差が〜」と言って、自ら能動的に学ぼうとする子どもを学校という檻の中に閉じ込めておこうとすることに、私は恐怖すら覚えます。

 

画一的な教育制度の先に見えるものは

これまで色々と述べてきましたが、個人的に1番大きなポイントだと思っているのは、「画一的な授業を受けてても学べないこともたくさんあり」、それが人生において非常に重要だという点です。

日本あちこちを巡って毎日キラキラ生きている人にたくさん出会いました。彼ら、彼女らに共通するのは、『自らの描く未来を、自ら考え、実現するべく行動していること』でした。

同じ教室で、同じ内容を、同じメンバーで、一緒に学ぶ環境。そして、評価の指標はテストの点数、ただ一点。”個性”を示すと周りに合わせろと叩かれ、”指示に従順な者”が評価される世界。そんな環境で絶対に学べないことです。

現在の教育制度の原型は明治時代に作られ、本質的な部分は当時のまま現在まで引き継がれています。明治時代の教育は、富国強兵のために学力・体力・忍耐力が一定の水準で規格の揃った人材を育成することが目的でした。東北の人と九州の人が同じ隊で行動を共にしながら規律を守らせるには、”標準語”を用い、同程度の計算が出来、集団行動が守れる必要があったため、この教育制度は時代背景にも相まって非常に効率的な効果を生んだことでしょう。

ただ、時代の変化に伴ってその必要性が大きく揺らいでいるはずです。価値観は多様化し、必要とするものも物凄いスピードで変化していきます。(PCスキル、英語、プログラム、etc……)

画一的な教育制度でそんな変化についていくことはほぼ不可能になっているでしょう。寧ろ、「学校にさえ行けば大丈夫」という考え方をしているとその変化にはついていけるはずもなく、今の時代では学校に依存することは確実にリスクになると思います。

そういう意味でも、「学校に行く必要性はなくなりつつある」と考えます。

 

学びの場は学校しかないのか

そもそも、私が学校に行く必要性がなくなりつつあると思い始めたのは、大学を休学してインターンやヒッチハイク旅の経験、旅先での人の出会いの中で、学校以外での学びが想像以上に多いことを実感したからです。

学ぼうと思えば、いくらでも学べます。学校に行かなくても、学ぼうと思えば、いくらでも学べるんです。

 

2005年の夏に放送された「女王の教室」を覚えてますか? 天海祐希が演じる悪魔のような鬼教師の真矢と小学6年生の子ども達の「闘い」を描いた学校教師ドラマです。

その中で、生徒から「どうして勉強しなきゃいけないんですか?」という質問を受けた時の真矢の返答を紹介します。

いい加減目覚めなさい。まだそんなこともわからないの?
勉強は……しなきゃいけないものじゃありません。したい、と思うものです。
これからあなた達は、知らないものや、理解できないものに沢山出会います。
美しいなとか、楽しいなとか、不思議だなと思うものにも沢山出会います。
そのとき、もっともっとそのことを知りたい、勉強したいと自然に思うから
人間なんです。
好奇心や、探究心のない人間は人間じゃありません。猿以下です。
自分達の生きているこの世界のことを知ろうとしなくて、何が出来ると言うんですか?
いくら勉強したって、生きている限り、わからないことはいっぱいあります。
世の中には、何でも知ったような顔をした大人がいっぱいいますが、あんなもの嘘っぱちです。
いい大学に入ろうが、いい会社に入ろうが、いくつになっても勉強しようと思えば、いくらでも出来るんです。
好奇心を失った瞬間、人間は死んだも同然です。
勉強は、受験の為にするのではありません。
立派な大人になる為にするんです。

by 女王の教室

学校に行かなくとも、学ぶことは出来るんです。

『学校は学び方を学ぶための場』であって、学び方さえわかった人は学校に居続ける必要はないと思います。

 

最後に

断っておきますが、私は「共教育を無くせ」と主張しているわけではありません。

「学校という場」に必ず行かないといけないわけではない。そう思っているだけです。

将来の教育現場の姿のイメージは薄らあるものの、そのイメージは言葉で伝えれるほど鮮明なものではなくまだ漠然としてます。(教育現場の人間から見れば、漠然としかイメージないくせに意見を言いやがってと思うかもしれないですが)

ただ、世の中の流れを見ていれば、今後学校に行かないことを選ぶ人が増えてくることは間違いないと思います。日本の画一的な教育に無駄な時間を取られるより、行かずにやりたいことをやる選択をする方が合理的だと判断する人が増えるはずだからです。そして、それが可能になる土壌は整いつつあります。

現場の人間からしてみれば、学校に行かないことを選ぶ生徒が増えてくれば自分達の仕事がなくなるかもしれないわけで、本能的にそれを阻止しようとする方向に考えが及ぶのかもしれません。とは言え、生徒(他人)の選択を否定する権利は、例え聖職と呼ばれる立場だろうが、ないはずです。

 

もし私に子どもが出来たとしたら、強制的に学校に行かせることは絶対にしないと断言出来ます。本人にやりたいことがあり、それが学校に行っていては出来ない(もしくは時間がかかる)のであれば、「学校」という枠を取っ払った上でどうしたら実現出来るかを一緒に考えるでしょう。その結果、学校に行かないことを選んだとしたら、その決断を最大限尊重するはずです。

少なくとも、私はそう考え、実行すると思います。

 

上手くまとまりきれてないですが、とりあえず今回はこの辺で。

では、また!


 

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りょうかん

りょうかん

元旅人ヒッチハイカー。広島大学大学院 自主退学 熱海のまちづくり団体(NPO法人atamista)で1年間のインターンを経験後、尾道のゲストハウス(あなごのねどこ)で約3ヶ月間フリーアコモデーションスタッフとして働いたりしながらヒッチハイクで放浪。現在は鳥取の「Book Cafe ホンバコ」店長。