この記事は、2016年7月21日に筆者の経営するBook Cafe ホンバコで開催した公開インタビューの内容を元に執筆しています。
鳥取の港町・賀露に新たなゲストハウスがオープンしました。
「しゃん亭」と名付けられたそのゲストハウスは、鳥取出身の元バックパッカー・千石怜佳さんの旅の経験と鳥取への愛がたっぷり詰め込まれた宿になりそう。
今回は「ゲストハウス しゃん亭」の店主・千石怜佳さんに、その想いやこだわりなどについてインタビューをしてみました。
千石 怜佳(せんごく れいか)
鳥取市出身・元バックパッカー
ゲストハウス「しゃん亭」店主
旅をして鳥取がおもしろいって思った
── いよいよ、オープンが迫ってきましたね。1年半前ぐらいに出会ってから「ゲストハウスをしたい」と話を聞いてたので、本当にいよいよという感じがします。
今回は、現在FAAVO鳥取で実施している「しゃん亭」のクラウドファンディング支援の意味を込めて公開インタビューを企画してみました。よろしくお願いします。
千石怜佳(以下、千石) りょうかんさん、ありがとうございます。よろしくお願いします。
── まず、初めましての人もいると思うので、簡単に自己紹介をお願いできますか?
千石 初めまして、千石怜佳です。鳥取市の港町・賀露でゲストハウス「しゃん亭」をやります。
── ありがとうございます。
早速なんですけど、ゲストハウスをやろうと思ったきっかけはなんだったんですか?
千石 私は旅が好きで、色んなところを旅したり、沖縄や京都や神奈川の幾つかの街にも住んだりしていると、本当に鳥取がおもしろいっていうか、良いとこだなって思うようになったんですよ。旅に出る前は「鳥取って退屈だ」「何にもない」って思ってたし、高校生の頃なんかは、「やっぱし(鳥取を)出たいな」っていう気持ちもあったんですけどね(笑)
それに、5~6年前かなぁ、南米一周旅をしてた時に、毎日ゲストハウスに泊まったりして「こんな宿がしたいな〜」って思うようになって。それに当時はまだ鳥取にゲストハウスがなかったので、「私が鳥取に帰ってゲストハウスを絶対にやろう」と決意したというか。そんな感じです。よろしくお願いしまーーす!
── 色々と気になるところがあるのでどこから聞こうか悩むんですが、、、
まず旅の話を聞いてみたいです。旅はどこに行ったんですか?
千石 外国旅行はね、20歳から行き始めて。最初の国がタイだったんですよ。
── それは普通に旅行として行ったんですか?
千石 そう。リュック背負って航空券とって、後はもうご自由にどうぞみたいな。
『タイは、若いうちに行け』っていう宣伝覚えてませんか?
俳優のいしだ壱成が出てたやつ。
会場 ・・・。(知らない)
── (検索…)これですかね? タイ国際空港のCMみたいです。
千石 これこれ。それで「私も行こう」と思ってタイに行ったら、そりゃもうタイ人もビックリしてるくらい日本人の学生が来てたの。本当に歩けば日本人の学生がいるみたいな感じ。
タイで出会って一緒に行動してた沖縄の子なんて、待ち合わせしてたバンコクの駅で中学校の同級生とばったり会っちゃうぐらい(笑)
そのくらい日本から学生が押し寄せてた時代のタイが、私の最初の海外旅行ですね。
── それからはどこに行ったんですか?
千石 若い頃はアジアを主に行ってて、だんだん遠いとことか時間がかかるとこに行き始めて。チベット行ったり、モロッコ行ったり、ジャマイカ行ったり。
それからちょっとアジアから離れていって、2011年に南米一周旅行をしたんです。ちょうど1年間で帰ろうと思って、本当にぴったり1年間で帰ってきました。
30歳を迎えた時にあなたは本当にそれでいいの?
── その間の仕事ってどうしてたんですか?
千石 学校卒業して社会人なってから、フリーターからスタートしたんですよ。それはなんでかって言ったら、「まぁなんとかなるだろう」って思ったんです(笑)
会場 (爆笑)
千石 なんていうかな〜。やっぱり甘かったっていうのは、まぁもちろんすごいあるんですけど。なんかね〜、やりたい仕事もないっていうか。
で、東京に行きたいと思って。結局は神奈川になったんですけど、やっぱし、首都を見とかないとって。
── なんだか安易ですね(笑)
千石 安易でしょー?(笑)
ほんとにそれくらいの安易な、なんか考えもなく、「バイトすれば別にまぁ暮らせる」と思って。私はなんか天才だから色んなことが出来るって思ってて(笑)
会場 (爆笑)
千石 何かやる人になると思って、ずーっと何かバイトしては辞めて、また旅に行って、お金が集まったら旅に行って。そんな生活をたぶん6年ぐらいしてました。
鳥取を出て10年経った28歳の時に、友達と飲んでて、「これからどうすんだよ」って無職だった私に友達が言ってきたんですよね。「派遣かなんかで仕事は見つかると思うけど、それで30歳を迎えた時にあなたは本当にそれでいいのか?」って。
で、家帰って、寝て、起きて、すぐ不動産屋さんに電話して「解約してください」って言ったんです。
── おぉーーー急に凄い行動力!(笑)
千石 28歳だから…、11年前か。愛・地球博に立ち寄ってから帰ってきて、それからほんとに迷子みたいな感じ。
実家に住まわせてもらってるから、死にゃあしないというか、守られてるけど、本当に迷子みたいで怖かったですよ。鳥取帰ってきて余計仕事もないし、入りたい会社もないし、「これからどうすればいいんだ」って。
働かなくてもご飯は食べれるけど、でも働かないでずっともいられないし、っていうような日々を過ごしてました。
鳥取で生まれたことに意味があるんじゃないか
── 色々なバイトをされてたみたいですけど、ゲストハウス以外には「これがしたい」と考えたりしなかったんですか?
千石 なんかね〜、鳥取が良く感じてきたんですよ。
東京に住んでた時にあの街に疲れたっていうか。やっぱり、鳥取みたいにのんびりしたっていうか、景色で癒されるっていうか。
新宿歩いててもね、私は時間なんていくらでもある。お金が無いくらいで超ゆったりしてるんですけど、目の前の風景が凄くせわしないから、なんか自分も忙しいっていうか。
「やっぱり鳥取だな」っと思って、帰ってきたら帰ってきたでやっぱり良かったしね。海があって山があって。簡単に行けるのとか。
── 旅をしてると、「旅を仕事にしよう」とか「訪れた先に住みたい」とか考える人が多いと思うんですけど、そんなことは考えなかったんですか?
千石 思わなかったですね。
あっ、でもね、宮古島でのゴーヤ畑の季節労働を5年間繰り返したんですけど、宮古島はほんとに住んでもいいくらいでした。「住みたい」って思ったし、「ここで暮らせるんだったら鳥取じゃなくても」っていうくらい素敵な場所でしたね。友達とかも移住したりとか、結婚して宮古嫁になったりもしてました。
── それでも宮古島に住まなかったのは何でだったんですか?
千石 なんでだろうね。鳥取の魅力がなんかあったのかなぁ、なんか。
うーん。とにかく宮古島は本当に良いと思ったけど、やっぱり私は「鳥取で生きる」っていうか「鳥取で死ぬ」っていうか、なんかそれは思ったな。
── おぉ、いきなり話が重くなった(笑)
千石 あーでもそれは、もしかしたら、旅をしている時にいろんな国に行ってさ、結構見たくないものも見て、きれいじゃないものも、まぁ見てきたからかもしれないね。そういう時に「なんで私は日本に生まれたのかな」とか「なんで私はここに生まれなかったんだろう」っていうのを考えてたので。
もし私がここに生まれてたら(私から見て)辛いというか過酷な人生を送ってたかもしれない。ここで生まれてたかもしれないけど、なんで鳥取だったのかな、と思ったり。
この人がここでこういう…、ね。なんかお恵みをくださいっていう日々を過ごすのにもなにか意味があるのかとか、なんで私はこう手を出さずにすんでるのかな、っていうのを、いろんなところを旅して見てる時によく考えるようになったんですよ。
── 僕も旅をしてたので、その感覚はよくわかります。
千石 私はこういう平和な時代の日本に生まれて、しかも東京とかじゃなくて鳥取だった。きっと「鳥取に生まれた」っていうことに何か意味があるんじゃないかなって思うようになったんだと思う。
だから、なんか鳥取が気になって、鳥取で生きて鳥取で死んだ方がいいのかなって。
日本人だから自由なんだよ。別にインドに行って暮らしたって別に何ってことはない。充分やれるでしょ?
でもなんかそうじゃないような気がして。もし意味があるのなら、私はそこで頑張ろうかな、みたいなことを思ったんだと思います。
── 「生まれた意味」を自問し続けた千石さんなりの答えが「鳥取で」やることだったんでしょうね。
リノベーションスクールが大きな転機だった
── 2012年にゲストハウスをやると決意してから、実現目前となった今までの苦難や苦悩の話を聞かせてもらってもいいですか?
千石 やろうとは思っていたけど、やり方が本当に何も分かんなかったんですよ。
とりあえずネットで調べられることは調べてみて、「旅館業法」があるのはわかったけど「100平米」が何を意味しているのかわかんなかったり。営業許可を取ればやれるんだなぐらいのことはぼんやり理解したぐらいで。
で、旅が終わって落ち着いた頃に、鳥取ですぐバイトが見つかっちゃって。すると、バイトをしてれば日々それなりに過ごせちゃうので、特に現実的に動くこともなく、ただ働いて仕事をしてて過ぎていってて。
── やばいじゃないですか!それが変化したのは何かきっかけだったんですか?
千石 2014年だったかな。たぶんFacebookだったと思うんですけど、ある日突然、リノベーションスクールの募集が出てきたんですよ。
「なんだろう、これ」って気になって調べてみたものの、どういうものなのか全然情報が拾えなくて。
ただそこに書いてあったことを読むと、中心市街地の空き家の活用プランをプレゼンして事業化するみたいなことが書いてあって。「あー、宿ができるかもしれない」って漠然と思って応募してみたんですよ。
── 補足ですが、その時に千石さんが応募した「第1回 リノベーションスクール@鳥取」で、僕は現在経営している『Book Cafe ホンバコ』を提案しました。別のユニット(グループ)だったので会話をした記憶は無いんですけど、僕と千石さんの出会いはその時になるんですね。
千石 私は、応募時点でグループでやるってことも理解してなかったし、それぞれのアイディアを出して一番いい人がやれるのかなとか思ってたけど(笑)
でも、「きっかけになるかも」「ヒントがもらえればいいや」ぐらいの気持ちで応募して、ありがたいことに受講させてもらって、そっから本当に色々なことが分かったよ、ほんとに。事業化するにあたっての事業計画とかお金のこととか。「あっ、こういう風にやるんだ」っていう、流れみたいなのもその時に薄っすらとだけど入ってきたから。
── そういう意味で、リノベーションスクールは大きな転機になったわけですね。
千石 本当にそうですね。2014年11月に受講して、翌年の4月からは宿をやるための空き家を探したりする時間を作ろうと思って年度末で仕事を辞めたんです。
それでゲストハウスをするから仕事を辞めるんだっていろんな人に言ってまわってました。「辞めた辞めたー」って(笑)
── 言ってましたね(笑) それこそ、ホンバコのお掃除ワークショップをした時に聞いた気がします。
千石 「やるんだー!」って言ってたら、リノベーションスクールで発足した鳥取家守舎さんが、スクールで自分が担当してたグループの対象物件(通称「づかづか」)でゲストハウスをやろうとしてて、4月ぐらいから話をし始めて、7月ぐらいには「私がやります!」って公表までしたんですけど……、10月の後半くらいに「断念します、すいません」って言って辞めさせてもらって。
── その物件での事業化は断念することになってしまったんですね…。それは何でだったんですか?
千石 単純にお金がかかりすぎて、です。このくらいって思ってたのより多くて、ちょっと私の手に負えないなと。
それが購入費用であればまだ頑張れたかもしれないけど、改修費用だったからね。そこから家賃もずーっとかかるし、計算したら、やっぱりちょっときつかったんですよね。
── そうして断念をしてから、今の賀露の物件が見つかるまではスムーズだったんですか?
千石 すぐには次に動き出せずに1,2ヶ月くらいはぼんやりしてましたね。
でも、やりかけてたから気持ちも盛り上がってたし、周りの人も応援してくれてる人もいて、年明けくらいに今回の物件を見つけて。そこでできるのか調べたり、お金を貸してくださいって頼んだり、なんちゃらかんちゃらして、ようやく今の状況になった感じですね。
── やっぱりすぐには動き出せなかったんですね。
千石 でも、1回やろうとして進んだから「絶対やってやろう」っていう風に思えた部分もありましたよ。
やっぱり、リノベーションスクールとか、鳥取家守舎さんがサポートしてくれて進んでいく感じとか、あの経験がなかったら、一人で最初から物件見つけて、貸してくださいやりたいです、っていうところまではならなかっただろうなって思います。
そう、あの断念したのがやっぱり次の一歩を出させたっていうか。
「ほんとごめん!」って思ったんですよ。鳥取家守舎さんの人たちにも思ったし、大掃除の手伝いに来てくれた人もいっぱいいたので、「あーーー」って思って。
シュンってなって終わりでも良かったのかもしんないけど、それでも「あそこは駄目だったけど、もう一回頑張ります」ってやることで、みんなに許してもらえるかなーって思ったりもして。
── 一度断念した後、「千石さん、大丈夫かな?」って思ってましたけど、そこからの動きのスピード感とか熱量とか全然違っててビックリしましたもん。すべて良い経験として次に活かされていく様子を目の当たりにした感じでしたよ!
物件は購入したけど改修費用は安く済んだ
── 断念した「づかづか」では鳥取家守舎の転貸スキームで進んでましたけど、今回の賀露の物件は購入したんでしたっけ?
千石 買っちゃいました。買ったんですけど、改修費用がすごく安く済みそうだったので、「まぁいけるかな」って。
ふたを開けると、トイレに洗面台をつけないといけないとか、水が漏れてたから水道を直さないととか、壁を壊さなきゃとか、色々ありましたけど、それを含めてもお金がほんとに安く済んだ。
── じゃあかなり初期費用としては、物件購入費用が大半で改修費用はほとんどかけずに済んだというわけですね。
ぶっちゃけ実際に僕が一番気にしてる部分をズバリ聞いちゃいますけど…、事業的に採算は取れそうですか?
千石 うーん、まぁ、できると思うというかもうやるしかないっていうか。
一応、1日3人、月90人の稼働で採算は取れるかな、という感じではいます。
── しかし、立地が賀露という、鳥取の人からすると「そんな場所で大丈夫なのか?」と思ってしまう場所ですよね?なぜ賀露を選んだんですか?
千石 あ、気になりますか?(笑)
お金借りるときにも、すごい不便だとかなんだとかって言われたんですけどね。
最初は駅前、駅から歩いていけるエリアで探してたんですよ。やっぱり便利だし。ホンバコもあるし、楽しいかなーって思って。でも、立地はいいけど(状態などが)現実的じゃない物件ばかりで、しかも「ここでやりたい!」って思えるような物件になかなか出会えなくて。
── 今回の賀露の物件はどうやって見つけたんですか?
千石 インターネットです。「イエとち鳥取」っていうサイトをよく見てて、最初に「ここいいな」って思った物件があって、それが賀露だったんですよね。で、「ここ見学したいです」って言ったら、「もう売れました」って言われて。
「ゲゲーッッ!」ってなったんですけど、また同じサイトで今の物件を見つけて、「あー、また賀露だ」って思って。しかも前の物件とも近くて。
「あー、なんか、賀露に呼ばれてんのかなぁ」って思ったんですよ。
── 賀露には縁もゆかりもなかったんですか?
千石 行ったこともないというか通りがかるしかない。どんなところか分からないし、賀露って漁師町の独特なイメージがあるっていうか。そんなところに入っていけんのかなとか思ったんですけど、でもまぁ見るくらい見てもいいかと思って見学したら思いのほか素敵だったんですよ。
「ここをこういう風に部屋にしてベッドにしてここを居間にして、で、入口が土間になって……」っていうようなイメージが湧いたというか。物件の大きさも100平米以内で用途変更の必要もないし、目の前はすぐ海(漁港)で、しかも前が広場みたいに開けてて、なんかいろんなことが良いなって思えてきて。
賀露に入っていけるのかどうかっていうところだけがちょっと不安だったんですけど、それ以外は「ここでやったらおもしろそうだな」って思えたので、賀露を選びました。
宿は寝るためにあるからベッドにこだわりたい
── そんなわけで賀露を選んで、その宿で使うベッドは智頭杉で作ろうと。そう思ったのはどうしてなんですか?
千石 さっきも話したように、改修費用が思ったより安く済んだので、その浮いた分でベッドはこだわりたいなと思ってて。実際は、ベッドにお金をかけすぎちゃってるかなと思う部分もあるんですけど(笑)
でも、概ね組み立てたものを入れてもらうと、すごい良い匂いがするし、「あぁ、これに思い切って挑戦してよかったな」と思ってます。
……で、ベッドにこだわった理由ですね。
私は旅の最中にいっぱい宿に泊まってきたんですけど、ベッドってまぁまぁいい加減なんですよ。ギシギシしたり、小さかったり。私が泊まる安宿レベルだとあんまり良いベッドって無くて。南京虫が出なければOKとか、それくらいなんです。
でも、宿って結局は寝るためにあるわけで、やっぱりベッドをゆっくり出来て居心地のいいところにしてもらいたいなって。
それにうちの宿は設備もそんなに上等じゃないので、せめて寝るところだけでも良いものにしたいっていうことで、思い切って自慢の鳥取の智頭杉を使ったベットを作りたいなと思ったんです。
── その智頭杉のベッドを一緒に作ってることになった株式会社サカモトの坂本晴信さんを知るきっかけはホンバコでしたよね?
たまたま違う知人の方から坂本さんの話を聞いて、そのすぐのタイミングで千石さんが来られたので「智頭杉のベッドが作れるらしいですよー」って話をして。
千石 最初に写真を見してもらったときには別に「ふーん」ってくらいにしか思わなかったんですけど(笑)
でもやっぱり私は宿でもね、鳥取を満喫してもらいたいんですよ。
お客さんが「砂丘しかないじゃん」って言って帰るんじゃなくて、「鳥取駅前に『ホンバコ』って店があってー」とか「八東駅の駅舎に『ひとやすみ』ってカフェがあるんだよー」とか、砂丘くらいしか知らないような人でもまた来たくなるように鳥取自慢をしたいと思っていて。
宿の中でも因州和紙とか鳥取っぽいものをいっぱい散りばめたいなーとかも思ったり。
そんなことを考えてる時に智頭杉のベッドの話を聞いたから、「あー、おもしろいかも」と思って、坂本さんの話を聞きに智頭にも行ったんですけど、話をしたら坂本さんがすっごい良い人ですごい素敵な人だったの。単純に話も楽しくて、「あぁ、なんかこの人に頼みたいな」って思ったからお願いすることにしたんです。
── 偶然の出会いが重なってきてる感じがしますね。
千石 まぁ偶然のね、ホンバコのつながりと、私の寝るところはいいものにしたいっていう気持ちと。
うん。そういういろんなことがやっぱしこうグッと……。たぶん天使が見守ってくれてるね(笑)
── クラウドファンディングのお返し(リターン)にも智頭杉を使ったしゃん亭オリジナルの「曲げわっぱ」や「ボールペン」など、出会いの重なりが反映されてる品がちらほら見受けられるのがいいな〜と思ってるんですけど、その辺りのこだわりなども教えてもらえたりしますか?
千石 智頭杉の「曲げわっぱ」や「ボールペン」は2万円の支援からのリターンになるんですけど、これも坂本さんのところにお願いして作ってもらいました。
ロゴも「1個単位からでも焼きますよー」と言ってくださって、ほんとにありがたいです。
あと、一番高額な7万円の支援をしてくださった人へのお返しで、釣り名人の田川慶一朗さんとの釣り体験も用意しました。
田川さんともホンバコで出会って、賀露でよく釣りをしてるらしく「賀露はいいところですよー」って色々と情報をくれたりしていて。賀露ではビーチで釣りをするみたいで、こういう体験も宿に泊まってしてもらえたらな〜と思って頼んじゃいました。(笑)
それと、最後に追加したリターンがあって、1万5千円のコースなんですけど、港町の賀露っぽいものも体感してもらえたらと思って「干物セット」も作ってみました。ハタハタとかノドグロとか、鳥取の人からすれば庶民的な食べ物かもしれないけど、先日来た大阪の友人が大興奮してて、こういう海鮮のもので喜んでもらえたらと思って作ってみました。
── 田川さんも以前にインタビューをしたんですけど、あの人の釣りの技術や知識は本当にすば抜けてますからね。
田川さんみたいな人が定期的に宿に来てくれて、一緒に釣り体験が出来るようなコンテンツが用意出来ると良い売りになる気がします。
名前に込めた想い。平和で穏やかな宿に
── 長くなってきたので、最後に「しゃん亭」の名前の由来を聞いて終わりにしようかな。
ロゴを見れば、たぶん鳥取の祭り「しゃんしゃん祭り」を意識してるんだろうな〜とは想像できますが、実際はどんな意味を込めて名付けたんですか?
千石 もちろん「しゃんしゃん祭り」の鳥取っぽい響きも理由のひとつですよ。
でも、実は「シャンティ」というサンスクリット語(インドの古い言葉)を意識してます。意味は「平和」とか「穏やかな」とか「あなたが幸せでありますように」みたいな感じらしいです。
ヨガの時なんかに「シャンティシャンティシャンティ」ってよく言うらしいんですけども。
インドを旅してるとね、しょっちゅうわけわかんないことが起きるんですよ。
嘘ついて騙そうとする人が来るから、私たち観光客はいちいち怒らないとならなくて。それで怒ってるとインド人たちがね、「シャンティシャンティ」って言うんですよ。「まぁまぁまぁ」みたいな感じで使われてると思うんですけど。
それが強烈だったからすごく記憶に残ってて、それでこう「平和で穏やかな宿になりますように」って想いを込めて、「シャンティ」を使いたいなって。そこに宿の意味もある「亭」っていうのでダジャレで付けて「シャンティ」→「しゃん亭」って感じで。
ほんとに総合的に素晴らしい名前だと思って「しゃん亭」にしました。
平和な宿にね、穏やかに。みんな本当にゆるーくして。喧嘩もしないでね、仲良く過ごしてほしいんです。ゆるーく。(笑)
── 千石さんの想いのこもった穏やかに過ごせる宿になりそうな気がします。
8月6日(土)にプレオープンですが、少しずつ千石カラーを出して良い宿になっていくことを楽しみに見守ってます!ありがとうございました!
* * *
思いのほか長いインタビューになってしまいました。
旅をしてた時の話や一度断念してからの葛藤など、本当はもっと掘り下げて聞いてみたいところもありましたが、「しゃん亭」に対する想いはもちろん、千石さん自身の魅力もたっぷり伝わったんじゃないかなと思います。
今回は、FAAVO鳥取で行なっているクラウドファンディングの支援の一環として、『公開インタビューの実施』そして『インタビュー記事の執筆』をしてみました。
クラウドファンディングの支援は8月5日(金)まで。(終了しました)
記事の下にサイトのリンクを貼ってますので、「千石さんの想いに共感した」「千石さんの人柄に投資したい」などと思われた方は、是非支援をよろしくお願いします。
そして、翌日の8月6日(土)からプレオープンです。
最初から全ての想いが形になるわけでもなく、時間の経過とともに少しずつ理想に近づいていくことでしょう。
ゲストと共に成長していくだろう「ゲストハウス しゃん亭」を、これからも温かく応援していければと思います。