どうも、りょうかん(@ryokan_1123)です。
街中が移住者で溢れている全国でも珍しい街・尾道。この街の何が移住者の心を惹き付けてるのか、少しずつ核心に迫るべく実際に移住して来た人にインタビューをしています。
第四弾の今回は、USHIO CHOCOLATLの宮本篤さん。尾道に来る前の話、そして11月1日にOPENしたばかりのチョコレート工場の話を中心に聞いてみました。
宮本 篤 (みやもと あつし)
30歳で尾道に移住。
11月1日にチョコレート工場『USHIO CHOCOLATL』を共同OPEN。
— 簡単な自己紹介をお願いしてもいいですか?
1981年9月28日生まれ。天秤座。O型。父・宮本マサル、母・宮本マサコ、姉・宮本タマコ。兵庫県姫路市出身。高校まで姫路で過ごし、高校卒業してすぐに東京に行きました。
— 東京にはなぜ?
映画が好きで映画の仕事がしたくて、それやったら東京やろと。それで東京に。
映画の中でも、俺は“吹き替え”がしたくて。洋画が好きやったから洋画のね。例えば、俺はブラッド・ピットじゃないけど(吹き替えをすれば)日本版のブラッド・ピットになれるわけやん。それってめっちゃ面白いやんって思って。
どうやったらそれ(吹き替え)は出来るんやって調べたら、声優の養成所があるのかと。
本気で声優になりたいって思ってたから、本当は中卒で行きたかったんだけどね。でも「高校ぐらいは出とけ」って周りに言われて、高校には行った感じ。
— 高校にはしぶしぶ行った感じなんですね。
そうそう。あと高校時代、生徒会長とかやってたよ。なんでか言うとさ、勉強出来る奴が内申点のために…みたいなの腹立つやん。生徒のことなんも考えんと先生に媚び売って終わりの連中ばっかりやろ。担任からも「お前出てくれ」って言われて。それで立候補して選挙して。
ま、俺が出たら勝つけどね。で、生徒会の周りの連中を半分ぐらいおもろい友達で固めて、ずっと遊んでた(笑)
— 昔からそんな調子なんですね(笑)
昔からやらされることに対する嫌悪感とかあって、型通りするのも嫌いで。
生徒会長の挨拶する時も、なんも考えずに今日思ってることを言ってたからね。卒業式の答辞とかも。マイクを使わないとか。俺はずっとそのままなんやけど。ま、こんな話はどうでもいいか(笑) ま、プロフィールっちゃプロフィールやろ。
これもまた自慢話になっちゃうんだけどね、特待生みたいなやつで(お金も)免除だったから。免除になるんや、いいな〜って思って入って。
ほんだらさ、いろんなこと勉強するわけ。吹き替えだけじゃなくて、ナレーションとか。特に俺なんか関西弁やし、標準語の勉強とかも。結局は“表現”で、その中の1つとして”吹き替え”というモノが存在するから。
まあまあ、そういったものも含めていろんなことを勉強して。講師の先生方にもつい気に入られてしまうから、養成所いる間にもちょいちょいお仕事させてもらっとったんよ。絵本の読み聞かせCDとか、ラジオとか。
その中で俺が1番おもろかったのが『舞台』で。舞台に初めて立たせてもらった時に「あっ、これがしたい」って思って。それで卒業してからは、舞台系に強いプロダクションに入ったんやけど。
— プロダクションに入ってたんですね。
でも、そこも事務所だから当然最初はお金になる仕事をさせられるのね。ヒーローショーの中の人とか、Vシネとか、テレビの仕事とか、雑誌のモデルとか。「俺は舞台したいのに」って思いながら、(事務所に所属してる以上は)やらなあかんから。
で、俺も受かってまうからね。しょうがない(笑)
— さすがです(笑)
まあでも、現場が面白くない。俺はマジで舞台がやりてぇなと思ったから、自分で劇団を立ち上げて事務所を辞めたの。
その劇団は3人で始めたんやけど、人がおらんから俺が脚本・演出・出演の全部をやってたのね。それがしんどくてしんどくて。好きなことするなら1人でやるのが近道かと思ったけど、全然出来ん。好きなことなんて何%も出来へんから「これあかんな」って思って、俺が立ち上げたんだけど俺は辞めて。
— 立ち上げた本人が真っ先に辞めてしまったと。
俺を活かしてくれる人と同じモノを目指す方がいいなって。
すげぇ圧倒的な存在になりたいと思ってたから、そういう人に出会ってそういう人から学ばなければならないと思って。
それでいろんな劇団受けていろんな舞台やった結果、すごいいいところが見つかって。演出家の考え方とかオーディションの仕方とか、全部共感して。「この人について行こう」「ここで骨を埋めよう」みたいな気分でおったんやけど。
— けど?
ある時、そこの演出家が詩人の谷川俊太郎と一緒に仕事をすることになったのね。息子のジャズピアニストの谷川賢作と2人でツアーを回っとって、それにお芝居も雰囲気作りで入れたいってことで話が来て。
俊太郎さんのことが元々大好きやったから、それに参加させてもらえて。
それで、舞台裏で谷川俊太郎さんが詩を読んでる姿を見た時に、衝撃を受けて。
今まで詩人になろうなんて今まで思ったことないけど、「俺の目指していたもの、これやった!」「舞台表現の最高の形はこれやな」って思ったの。
それを思ったと同時に、「これになる方法が全くわからん」って思ってしまって。
しかも、「それ(最高の舞台表現の形)がすであるなら、それでええやん」「それ以上のものになる自信がないなら辞めるべきや」とも思って。
しょーもないもんばっか増えて、『舞台はおもんない』『舞台は値段が高いだけ』って思われるのは嫌やったし、それの一部を担ってしまうことも嫌だった。
だから、辞めようって。それが25歳の時かな。
— 7,8年頑張っていた舞台の道をそこで辞めた。
あと、お芝居やってると日常生活がおもんないんよね。こうやって話を聞いてる人のことを見て、人の癖とか、本当に笑ってる時はこんな感じ、苦笑いはこんな感じ、泣く時はこんな風なんや、ってちょっと俯瞰で観察したりしちゃって。それを覚えてトレースしようとするからさ。
で、「そんな人生送ってる奴、楽しいんかな」って思って。「まじ楽しい!」って感じる時に「まじ楽しい!ってどういう感情なんやろ」って考えてしまうのってどうなんやろって。
そんな人生楽しめてない奴が、舞台上で「人生楽しいぜ!」って言えるわけないやんって思って。嘘つきも甚だしい。そんなん見て誰が楽しいや、俺にはやる資格がない。そう思ったのね。
で、その劇団の次の公演のオーディションの合格者を決めてるタイミングで、演出家に「俺、お芝居辞めます」って急に伝えて。
— そのタイミングで(笑)
でも、このタイミング逃したら、この気持ちのまま稽古が始まるし。「それはあかんあかん」って。だから言ったん。泣きながら、罵倒し合いながらね。「この裏切り者!」って。
「でももう来れません!」って言うて、自分の荷物持って飛び出して。で、お芝居を辞めたんよ。
— なかなかの修羅場ですね。
たぶん人生というものの楽しみ方がこのままじゃあかんって思ったんやろうね。
あとは、本物の表現者に出会って体感した時に、それを知ってでもそこに向かう努力の出来る人と、心が折れる人がおるはずなんやけど、俺は努力が出来んかった。
これ以上ないものがそこにあるなら、それを大切にする方がいいんじゃないかと思ってしまった。音楽とか他のなんでもいいんやけど、圧倒的なものだけあればいいや、って。
まあたぶんみんなそれを乗り越えてやっとんだろうけどね。すごいなって思うね。
— そこからどういった流れで尾道に?
その後に、どっか就職しようと思って。でも高卒でなかなか雇ってもらえんくて。それでもある雑誌の編集プロダクションが拾ってくれて。その編集プロダクションで3,4年働いたんかな。
で、30歳の時に震災があって。そん時に一緒にシェアハウスに住んどった奴の知り合いが石巻で被災してボランティアセンターのリーダーみたいなのしとるらしいと聞いて。大きな車を運転出来る奴がいたからみんなで定期的(金土日)に向こうに行ってたのね。
そしたら、あの人らすごいんよ。家族とか、地域とかのことをすげぇ愛しとるというか。「またこの家住むんや!」みたいな、そういう人ばっかで。まあそういう人の手助けに行ってるんだけど。
最初の頃に出会った家族で、家の2階に犬を残して出て来てしまったと。ひと月ぐらい経ってるからたぶん亡くなってると思うけど、その子を見つけてお墓を作ってあげたいんだ、って。
家ぐっちゃぐちゃよ。そんな人が犬の心配するんや!って。当然のことかもしれんけどさ、すごいなって思って。ハウスのことよりホームのこと考えとるんやって。
感動したって言い方はおかしいけど、ほんとに気づかせてもらったなって感じ。
— ハウスよりホームのことを考える、っていい言葉ですね。
それで、俺も家族のこと知っとかなあかんなって思ってさ。そんなことが起こったらそう思うんは当たり前かもしれんけど、そういうことが起こる前にいい関係を築いておかないといけないな、と。別に家族関係が悪いとかじゃないけど。
で、震災のこともあって、東京じゃないどっかに行きたいとは思ってた。12年も東京におったから、十分楽しい奴にも出会って良い関係も築けたし。築けたからこそ、一緒におっても意味ないなっ思った。離れとっても会いたい時に会えばいいし。
それに、あんな風に一気にドカってなった時には、俺が(違う土地におれば)来いよ!って言えるし。逆に自分のところがそうなってもそっち行けるわけやから。行けるとこがいっぱいあった方がいいなって。
どこ行ってもすることは一緒やしね。仕事の問題じゃなくて、俺が30年してきたことってほとんど一緒やと思ってて。それを信じて動くべき時は今なんじゃないかと思ったわけです。
それと、義理の兄貴のヒロくん(以前も登場した村上さん)のことあんま知らんかったから。
— 元々知った仲ではあったんですか?
タマコ(姉)の旦那やから、3回ぐらい会ったことがあるぐらい。結婚式と、ヒロくんが東京遊びに来た時と、俺が尾道に遊びに来た時と。
けど、おもろい人やなと思ってたし、年齢も近いし、姉貴の旦那でいわゆる家族やから、あんま知らんのは良くないって考えてて。
それで尾道を訪ねるわけ。東京からチャリンコに乗り、バックパックを背負い。あれが重たくてね〜。
— 東京からチャリで尾道まで(笑)
時間があるし、知った気になるのって嫌やなって思ってね。地図上で「浜松ってこういうとこよね」とか「浜風が強いよね」とか、体感した人だけが言っていいと思ってるから。俺は。
で、やって……。まあ面白かったなってだけの話なんやけど。なんのトラブルもない(笑)
— それで尾道に着いてからは?
尾道に着いて、最初はヒロくんの家に居候しとって。居候しながら「尾道という街にどういったものがあれば面白いか」みたいな話をしてて。それでリアカーゴ(尾道発の移動式マーケット)が生まれて。
あとは遊んだり、アルバイトしたりしてた。
それで、家を手に入れ。まあ家は貰ったんだけどな。
— 貰ったんですか?
「家探してるんです〜」って言いながら歩いとったら、信恵さん※1が「長江の方にあるよ〜」って言って大家さんを紹介してくれて。大屋さん的には手放したい譲渡したいって言ってくれて、今は土地代だけ払ってる状態。
※1 信恵さん
映画『スーパーローカルヒーロー』のスーパーローカルヒーローその人。
— 尾道ではよく聞く話ですよね。
だから、『家持ち、職無し』みたいな状態やったんだけど。
家が手に入って、ちょいちょい直しながら。その頃にミナール(奥さん)も尾道に来てくれて。
それで、尾道のとあるライブでプロポーズをして、その1年後(去年)に入籍をし、キャンプ形式の結婚パーティをして。楽しかったよ〜(笑)
— Facebookに写真があったんですけど、すごい楽しそうでしたね。僕が来る前だったから……。
1年遅かったな〜。正装のままキャンプファイヤーしたんやで〜。
— その話、ちょくちょく聞くんで本当に羨ましいです。
もう伝説よ! 夜中3時ぐらいまで爆音で踊りまくるっていう。真也くん※2はパンツ一丁で踊ってたし。フェリーズ※3もライブしたりね。
※2 真也くん
USHIO CHOCOLATLの立ち上げメンバーの1人
※3 フェリーズ
尾道の渡船を愛するアイドルユニット
— 今は何をされてるんですか?
真也くんが去年いっぱいでバイトをしていたやまねこカフェを辞めて、今年の頭からチョコレート工場の立ち上げに向けて動き始めてたから、それを一緒にやっていて。今日(インタビューした11月1日に)OPENしましたよ!って話よ。
— おめでとうございます! どんなチョコレート工場なんですか?
一言で言うのは難しいね。
俺たち自身で買い付けたカカオ豆と砂糖で作る“新鮮で美味しい“チョコレートを作ってます。
チョコレートに新鮮さなんてあるんかと思うかもしれんけど、あるんよね。豆を砕いた瞬間ってのは美味しいし。コーヒーも一緒でしょ?
ちゃんと管理してやらないと、酸化したり老化したりするから。俺らはそういうのも勉強してしっかりと管理することで『新鮮』という概念が生まれてくるわけ。
野菜でもそうやん。新鮮な野菜と新鮮じゃない野菜って、わかるっしょ? それと一緒。食べもんなんやから新鮮なチョコレートもあるはずなんよ。
まありょうかんはチョコレート嫌いやけどね(笑) ……って、なんでインタビューすんねん!!気づいた。これはdisや、dis。最後に「僕は嫌いですけどね」みたいな? 腹立つーーーー!!
— (笑)いやいやいや。とは言え、あなごに泊まった人に宣伝もしてますからね!
でも魅力伝えられへんやろ!(笑)
— それは悩みどころではあるんですけど(笑)
俺も最初はチョコレートなんて興味なかったけどね。でも、真也くんが食べさせてくれたチョコレートが美味くて。ただのお菓子ではなかった。
それで俺が考えてた世界が狭いなって思って衝撃をを受けたわけ。こんな広くて奥深い世界があるんんや、おもしろそうやな、かっこいいな、そういったことに挑戦してもいいんじゃないか、これをするために(東京を)出てきたのかもしれない、って。
いろいろと悩んでぼやっとしてたダッサイ期間があったからね。そもそも俺の人生やし、やると言ったことをやれよ、と思ったから『やろう』と思って。一緒にやってみようと。
それでいろんな人に話をしてると、パプアニューギニアで輸出入してる人を教えてもらって、タイミングがちょうど良かったから現地に行くことになって、行ったら良い農園と出会えて。その農園の豆をダイレクトに仕入れれるようにしていて、今ようやく船に乗ったところらしい。11月の中旬頃にこっち(神戸港)に着くっぽい。
(輸入すると)虫が付いてた場合にポストハーベスト処理っていう燻蒸処理みたいにスプレーで薬をバーっとかけられちゃうんだけど、俺たちとしては本当は食べ物にそういうのって良くないよね、って思うわけ。どっちかと言えば、虫の方がえんちゃうん?って。
だからそれを出来る限り避けたい。せっかく風味の良いものだし。
それを避けるためにはどうするかってとこも工夫してやってて、それで輸入に時間がかかってるのもあるんだけども。
普段業者さんから買ってるものは、それをされてるかどうかすらわからん状態なんよね。管理されてないものを「これ美味しいですよ」って言うのもちょっと違うなと。
更に言うなれば、産地が違えば味も違ってて。例えば、北海道の野菜と熊本の野菜では味は当然違っていて。それだけじゃなくて、熊本の中でもあの人の野菜は美味しい、この人のは好みじゃないっていうのはある。でも、それを『熊本産の野菜』としてドカッと出荷されとるわけやん。
そうじゃなくて、「俺、この人のやつがめっちゃ好き」ってなれば良いと思うの。そういう風にしたい。
だから、俺らはパプアニューギニアに直接行って、その人の農園で育った豆だけをくれ、と。
それに、これをすることで、こっちの意見も直接向こうに伝えることが出来て、それを受けて改良をして、っていう感じでどんどんお互いに上に登っていける。もっともっと美味しいものにしていける。
そこまでしてる豆だからこそ、薬がかかるのがもったいないでしょ? こだわってる分ね。
— もし薬をかけられてしまったら?
捨てるんか使うかはまだわからんけど、俺たちのやり方なら「これはポストハーベスト処理されたやつです」って説明が出来る。まあ基本的には(豆に)皮が付いてるから、皮を捨てれば大丈夫なんやろうけどさ。
しかも、どういう薬がかけられたかまで教えてもらえれば、食べる人に対してその説明まで出来る。「何をされたかがわかる」ってところが大事。
完全に安全でクリアなものを最初から提供は出来んけど、何がダメなのかをきちんと説明出来るものを提供する。そして、どんどん完全に安全でクリアなものに近づいていければいい。
こういうのが『ストーリーのあるものを食べる』ってことだと思うのね。それのまず一歩。
男3人同世代が集まってるからこそ出来る強みっていうのはそういう透明さやと思う。というのを大事にしながら日々チョコレートを作ってます、と。
— 同世代の男3人、とてもカッコいいですね。
ちょっと調べればわかるけど、本当にカカオ豆と砂糖だけのチョコレートっていうのは、あまり世の中に出回ってない。大体植物性のバターだったりレシチンとかミルクとかが入ってる。
知れば知るほど奥深くて面白い。でもこれに対しては道が見えるからやってる。これは谷川俊太郎ではない。
— 先が見えない道ではないと。
もっと言うならば、これからこれをみんなで作っていくべき。なんならシェアしたい。他にもこんな風にやってほしい。
金持ちでもなんでもない俺たちがこれを出来たって形になったとしたら、「じゃあ俺らもやろうぜ」ってなる。そしたら、「やってほしい」「増やしていこう」って思ってる。みんな真似してくれって思ってる。もっと金のある人とか…(笑)
でも、そいつらが金の力でばーっとやるのも嫌やけどね。
だから広げ方やね。小さく。小さいんだけど、強く。
— ありがとうございました!
USHIO CHOCOLATL
営業時間 9:00 ~ 17:00
定休日 毎週火曜・水曜(年内に限り)
住所 広島県尾道市向島町立花2200
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