どうも、りょうかん(@ryokan_1123)です。
今回の旅は色々と考えさせられることが多かったんですが、その中で最も印象的だったのが「捨てたはずの嫉妬を抱いた」ことでした。
なぜ「捨てたはずの嫉妬を抱いた」のか。理由を自分なりに考えてみました。
嫉妬は存在しない
ホンバコに来るお客さんに指摘されたこともありますが、僕の価値観や思想の多くはアドラーの心理学にとてもよく似ています。
アドラーの心理学をわかりやすく説明してくれるのが、去年のベストセラーの一冊『嫌われる勇気』です。(僕の経営するBook Cafe ホンバコに置いてあります)
僕の価値観や思想によく似てると書きましたが、正確に言えば、漠然に抱いていた価値観や思想をアドラーの心理学がうまく整理してくれていたので、説明するときに表現を引用させてもらってる感じでしょうか。
さらに、以前ホンバコのオープン前に訪れてくれた藤井みのりさんのブログ「セックスレシピの作り方」でも、アドラーの心理学的には嫉妬はないんじゃないかと提言されています。
この内容に100%同意しており、今でもそう思っています。
もちろん昔はそうじゃなかったですが、少なくとも旅をしていた時には嫉妬する感覚は僕の中には存在せず、捨てたものだと認識してました。
しかし、僕は嫉妬をした
そう思っていたにも関わらず、僕は嫉妬をしたのです。
それは、好きな人が誕生日にされたサプライズの話を聞いてであり、
それは、組織としてある種の理想像を体現している様子を目の当たりにしてであり、
それは、宮崎で起業してチャレンジしてる同世代の若者が多さを知ってであり。
相手に対する羨ましさや自分に対する悔しさでもあるのだろうけども、どちらにしても僕が嫉妬心を抱いたことに変わりはないわけです。
なぜ嫉妬したのか
理由がよくわかりませんでした。
羨ましいのであれば、そうなれるように自分が頑張ればいい。
悔しいのであれば、見返すぐらい自分が努力すればいい。
自分に出来ることをひとつひとつ丁寧に積み上げていく以外に出来ることはないのだから、焦らず慌てず、一段一段上っていけばいい。
そう頭で理解していても、心のモヤモヤが取れないのです。
なぜなのか。
理由が自分の中で整理が出来ないまま、宮崎を去りフェリーに乗りました。
答えは〝今〟を生きていなかったから
答えは先述の「セックスレシピの作り方」に載っていました。
たまたま開いたページに書いてあったのが次の一言。
嫉妬してしまうのは、ざっくり言うなら「今」を生きていないから。
旋律が走りました。「そうか、これだ」と。
参考記事
〝今を生きる〟を忘れてた
23歳で死ぬと思って我武者羅に突っ走っていた頃。
最も大事にしていた言葉が『今を生きる』でした。
今、この瞬間、一瞬一瞬を、全力で生きる。
それだけを意識してました。嫉妬を抱かなくなったのもその頃からです。
しかし、24歳になって死の恐怖が弱まり、ホンバコがオープンして7ヶ月が経って日々がルーティーン化し始め、25歳になった今。
『今を生きる』と、上っ面な、実態のない、空っぽな、言葉だけを放ってる。
そんな自分がここにいました。
好きな人と過ごせるあの時間の幸せを全力で味わえばよかった。
ずっと気になってたこの街の空気感を全力で楽しめばよかった。
今を全力で生きて旅をしていた時には当たり前に出来ていたことが、自分の中から欠落してしまっていた事実に少し愕然としたのです。
今一度、心に刻み込もう
もう時間は戻らない。
時間は有限なのに、どうしようもないことに頭を悩ませ、今この瞬間に全力になれてなかった。
こんな勿体無い時間の使い方をしてしまったことが恥ずかしい。
旅はいろんなことを思い出させてくれます。
やっぱりたまに旅をしなければいけないと強く思わせてもらいました。
こんな悔しい想いはもうしたくないから、今一度心に刻み、実践します。
今を生きる。
今を生きることを、忘れてた。 上っ面な、実態のない、空っぽな、言葉だけを放ってた。 今を生きることを忘れてたから、嫉妬を感じたんだ。 当たり前が自分の中から欠落してしまっていた事実に少し愕然とした。 もう悔しい想いをしたくないから、今一度心に刻み、実践しよう。 今を生きる。
— りょうかん (@ryokan_1123) 2016, 1月 4
「今を生きる」っすね〜。染みる!
捨てたはずの嫉妬を抱いた理由を考える。- 今を生きることを忘れてた。 − りょうかんのつぶやき https://t.co/pcnXZQPdAP @ryokan_1123より— urarkanto-NINNIN (@vivix69) 2016年1月6日