どうも、りょうかん(@ryokan_1123)です。
このインタビューをしてから1ヶ月が経過してしまいました……。
お待ちかねだった人もいるかもしれません。
今回は、あの『かつ江さん』の作者・高藤宏夫さん!
作者として公の場に顔を出し始めた高藤さんの独占ロングインタビューです!
高藤さんってどんな人なのか。
どんな想いでこのキャラクターを描いたのか。
なぜ公の場に出るようになったのか。
全国のかつ江ファン必見の内容になってます!
高藤 宏夫(たかふじ ひろお)
コモン建築事務所 代表
鳥取城跡マスコットキャラクター「かつ江さん」の作者
インタビュー実施日:2015年1月24日
カメラマン:藤原明
— 簡単に自己紹介をお願いします。
はい。高藤宏夫(たかふじひろお)、昭和49年生まれの40歳です。
— 今はどんなお仕事をされているんですか?
今は建築の仕事をしていて、業務内容としては「新築住宅の設計施工」「中古住宅のリフォーム」「店舗の内装」などをしてます。
最近はお客さんから直接依頼を受けることがほとんどですね。
自分としては「住宅」の仕事をメインにやってます。
— 住宅の方をメインにしているのは、何か理由があるんですか?
店舗の仕事も面白いんですけど、オープン日が決まっていることが多いので少しバタバタしてしまうんですよね。
住宅の場合は早い人だと1年以上前から声をかけてもらえるので、自分とお客さんとお互いのことをなんとなく知り合う時間をじっくり取れるんです。
すると、着工の時に同じイメージを共有出来ているから、終わった時の満足感が大きいんですよ。
— お客さんとお互いのことを知り合いながら、という意味では、HandiHouse projectに似てるかもしれないですね。Handiさんの場合は、作るところまで一緒にやっちゃってますけど。
自分がやりたいのもそんな感じだね。
あと、去年この事務所に引っ越してきたんだけど、ここの雰囲気を見て気に入ってくれた人が来てくれるようになって、さらに話がスムーズに進むようになった。
「まさにこういう感じで〜」とか「これ、好きなんですよ〜」って(笑)
そうなると、お客さんにとってもいいし、自分にとってもやりやすい。
— 高藤さんの本業の話を初めて聞いた気がします(笑)
ずっとこの仕事をされてたんですか?
いや、この業界に入ったのは途中からなんよ。
中学生の時はバイク屋に、高校生の時は車屋になりたくてね(笑)
で、専門学校で整備士の資格を取って、3年ぐらい京都の車屋さんで働いとったんよ。
そこは、ロサンゼルスから1950年代ぐらいのフォルクスワーゲンだけを輸入して、専門用語で「レストア」って言う修復作業をする会社だったんだけど、古いものも車も好きだから、それがすっごい面白くて(笑)
2人いた先輩が就職して半年以内に辞めてしまったから20歳で急に責任ある立場になってしまったんだけど、それが更にやる気に火をつけて、余計に楽しくなったり(笑)
なんだけど、3年ぐらい経って「同じ車業界でも違う店で働いてみたい」という想いが芽生え始めた時に、他にも色々なことが重なって鳥取に帰ることになったの。
鳥取に帰ってきて、(京都の時みたいな専門店は無いから)普通の中古車屋さんで働き始めたら、前の仕事が面白すぎたからか物足りなくて。
それに、この3年間があまりにも車漬けの毎日すぎて「車が好きなわけではないかもしれない」と思い始めて。
— 逆にですか!?(笑)
車が好きなわけではなくて「何かをつくること」が好きなんじゃないかって思って。
車って、どんなにお金をかけて改造して見た目が全く別物になったとしても、フォルクスワーゲンはフォルクスワーゲンでしかないし、トヨタはトヨタでしかないから、それがあんまり面白くないんだなって。
だから「ゼロから何かをつくれる仕事」をしたいと。
でも、当時23歳ぐらいだったから、今から県外に出るつもりも専門学校に行くつもりも無くて。
それで、当時の自分が思いついたのが「大工の棟梁」か「飲食店のコック」のどっちかに弟子入りすることだったの。ゼロから何かをつくれるのはどっちかだ!と思って(笑)
そう思ってた時に、知り合いの知り合いに紹介してもらったのが大工さんだったから大工さんになったと。
— もしかしたら料理人になってた可能性も……。
なってたかもしれない!
知り合いの知り合いが料理人だったら、今頃、料理人してたかも(笑)
— それから大工さんの元で働き始めた感じですか?
大工の見習いから始めて、3年ぐらい親方のところにいた。
仕事も面白かったんだけど、大工さんって人の描いた図面を元につくるわけなのね。
やっぱりそれに満足出来なくなってきて(笑)
— ゼロからつくってるわけではなかったと(笑)
そう!
それで自分で設計したいと思って、資格を取って、事務所登録して、自分で設計施工をするスタイルになったの。
— すごい遍歴だ…。(笑)
— これまでの経歴を聞いたところで、多くの人が気になってるテーマに進みましょう。
高藤さんと言えば、『かつ江さん』の作者として公の場に顔を出すようになりました。
簡単に公開されるまでの一連の流れを教えてもらえますか?
まず、2013年12月に鳥取市が鳥取城跡のマスコットキャラクターを募集していることを知りました。
「いいのが思いついたら応募しようかな」ぐらいに思って仕事をしていたある時に、あのデザインと名前、更には(名前の由来を説明すれば鳥取城の歴史を自然と紹介出来るという)プレゼン方法までが一気に脳裏に降りてきて。
それで、その日の夜に描いたのがあの絵なんです。
自分では良いと思いつつ選ばれることはないだろうなと思いながら応募しました。
すると、(たぶん)2014年3月1日付けの新聞で『最優秀賞 とりのじょう』と発表があったんですけど、その前日に「高藤さんのキャラクターは優秀作2作品の内の1つとして、今後使わせてもらいます」と電話があったんです。
それで「いつかな〜?」って思っていたら、2014年7月7日にあの林拓磨くんから「高藤さん!出てますよ!」ってメッセージが届いていて。
この日に鳥取市から鳥取城跡のPRキャラとして公開されました。
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— かつ江さんを描いた想いを教えてもらってもいいですか?
鳥取城の歴史の中で、1581年に織田信長の家臣である羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)によって『鳥取の飢え殺し(かつえごろし)』と呼ばれる兵糧攻めがあり、当時の城主で毛利家の家臣・吉川経家(きっかわつねいえ)が自分の命と引き換えに飢えに苦しむ人民の命を助けたという話があります。
鳥取としては、吉川経家の銅像も建ててこの歴史を美談として語り継ごうとしているんだけど、それがいまいち浸透していないのが残念で。
やっぱり美談として聞いただけでは人の心には響かなくて、なぜこの話が美談として語られるのか、どういう経緯で吉川経家は切腹したのか、そういう部分をセットにしないと人々の印象には残らないと思ったんです。
それで、このインパクトのあるキャラクターがきっかけとなり、なぜ「かつ江さん」という名前なのかというところから自然と鳥取城の歴史を調べてもらうことで、この美談だけでなくその裏にある歴史的背景までを、特に若い人に知ってほしいという想いで応募しました。
鳥取の飢え殺しの詳細
そんな自分自身も、歴史に興味を持ち始めたのはここ10年ぐらいの話なんです。
週間漫画雑誌「モーニング」で連載されている『へうげもの』という千利休の弟子の古田織部が主人公の漫画があるんだけど、織部が男らしく武士道に生きる〈出世〉か、茶道や建築や美術ような〈美〉や〈数奇〉か、どっちを取るか日々葛藤と悶絶を繰り返すっていう内容で。
それって現代の感覚と変わらないなって思ったら、一気に歴史が身近なものに感じてしまって。
同じように歴史を身近に感じるきっかけになればと想いもあって、兵糧攻めに巻き込まれた市民側のキャラクターにした部分もあるんです。
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— 最初にかつ江さんが公開されているのを見た時はどうでしたか?
最初の感想は「原画のままだ〜(驚)」でしたね。
とりのじょうはレタッチされてたから、てっきりかつ江さんもそうされるものだと思ってたので。
でも、ふざけたつもりで描いたわけではなくて。
もちろんギリギリのところを狙った部分はありますけど、その中でも自分なりに出来る限り可愛く描いたつもりなんです!
実際に自分は今でも愛おしく感じてますし、甥っ子や知り合いの子も可愛いと言ってくれてます。
— 公開した直後の周りの反応はいかがでしたか?
公開の翌日の朝にはテレビに新聞に色々と取材の連絡が来ましたね。
仕事もあったから母親が対応したこともあったし、テレビで電話取材の様子が流れたり…。
そして、あれよあれよという間に、公開から3日後の7月10日に鳥取市から公開中止の発表があったという流れですね。
— 公開中止後も色々と話題に挙がることが多かったですよね。
2014年8月には、僕も大ファンな漫画家の黒鉄ヒロシさんが小学館の漫画雑誌「ビッグコミック」に連載中の『赤兵衛』の中にかつ江さんを2週連続で登場させてくれました。
これは事前に「うちの黒鉄ヒロシがかつ江さんを登場させた漫画を描いちゃったんです。作者さんだけにも了承をと思いまして」と連絡があったんです。
実際には著作権を持っているのは鳥取市教育委員会なんですけど、自分としては取り上げてもらって光栄でしたね(笑)
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それと、2014年11月末にリノベーションスクールという自分もサブユニットマスターという形で関わらせてもらったイベントで、鳥取市主催のイベントにも関わらずかつ江さんの一大キャンペーンが巻き起こって(笑)
— 俗に言う『かつ江テロ』『かつ江の乱』ですね(笑)
リノベーションスクールの参加者のほとんどがFacebookのプロフィール写真をかつ江さんの画像に変えて、コメント欄がかつ江さんで溢れるという(笑)
それで、最終日の集合写真の時にどさくさに紛れてかつ江さんのパネルを持って行ったら、鳥取市の深澤市長と鳥取県の平井知事も一緒に写真に入ってくれて(笑)
その後には深澤市長から呼ばれて握手を求められたから一緒に写真も撮らせてもらったり。
更には、その日の夜だけは鳥取市役所の方もみんな名札にかつ江さんのステッカーを入れてくれたりして、社会実験と銘打った『かつ江の乱』は成功したかと思ったんだけど。
— だけど……。
なんてことはない、翌日からは何事も無かったかのように普通に戻るという(笑)
それでも2014年12月7日に「よなご映像フェスティバル」で『アイコとかつ江さん』という短編自主制作映画が上映されたり、まだ色々と動きは出てますね。
— そういった流れの中で、ずっと作者として公の場には姿を見せずにきていたわけですが、今年になって公の場に出るようになった理由を教えてもらえますか?
「高藤のデザインした」キャラクターという余計な情報を持たずに、キャラクターそのものに親しみを持ってほしかったので、今までは公の場に作者として出るのは控えてました。
でも、漫画家の黒鉄ヒロシさんを始めとして、リノベーションスクールでかつ江の乱の音頭を取ってくださったらいおん建築事務所の嶋田洋平さんや、短編映画を作られた東京の福谷孝宏さんもそうなんだけど、外の人がかつ江さんを応援してくれたわけです。
更には、鳥取に住んでいる周りの人はもちろん、特に鳥取出身で県外に住んでいる人から応援の声がたくさん届いていて。
これだけ多くの人に応援してもらっているにも関わらず、自分だけが匿名で安全な所にいるわけにいかないな、と。
それに、自分としては鳥取市に対応を任せていたんですけど、なかなか動く気配がなく、このままではかつ江さんの存在自体が消えてしまうかもしれないと思ったんです。
かつ江さんをこのまま消滅させないためにも、色々なイベントや要望があれば個人の方の元へでも、直接説明して誤解を解いていく機会を増やしていかなければと思い、そういった活動をするために、今年から公に顔を出すようにしました。
実際に1月に2つのイベント(1月16日:とつとつとりトーク,1月21日:トリの話しba)にゲストと呼ばれて、かつ江さんの作者として初めて公の場で話をしたんですが、そのことが書かれた新聞記事を読んだ「カツエさん」という方からの連絡もあったり、少しずつ反響も出ています。
この活動を続けていくことで、鳥取市が再公開してくれると嬉しいですね。
鳥取市として採用していることに意味があると思うで。
— しっかり誤解を解いていくことで、賛成の声が鳥取市を動かして、再公開する流れが出来ると最高ですね!
今日はありがとうございました!
皆さん、これからもかつ江さんを応援していきましょう!