トリの話しba主催者・小谷真之介の想い。「鳥取に愛着や誇りを持つ人が増えて、ちょっとでも街がアップデートされると嬉しい」

2017年5月27日インタビュー, 鳥取

どうも、りょうかん(@ryokan_1123)です。

大好評だった林拓磨氏の記事を公開してから早3週間。
鳥取の魅力的な人にスポットを当てたインタビュー記事の第2弾!!

今回は『トリの話しba』の主催者・小谷真之介さん。
どんな想いで、このイベントを(取材時点で)27回も続けてきたのか。今後も続けていくのか。

『鳥取のコンプレックス』がトークテーマだった第27回のトリの話しbaに参加して、その翌日にインタビューしてきました。

少し長いですが、是非読んでみてください。

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小谷 真之介(こたに しんのすけ)
鳥取工業高校出身、32歳、グラフィックデザイナー。
大手レコード会社デザイン部で5年間働いた後、鳥取にUターン。
月に1度開催される「トリの話しba」の主催者。

インタビュー実施日:2015年1月22日

 

— グラフィックデザイナーの小谷真之介さんです。よろしくお願いします。

よろしくお願いします。

— 簡単に自己紹介をお願いします。

1982年6月30日生まれ、現32歳。鳥取工業高校出身の小谷真之介(こたにしんのすけ)です。
鳥取では苗字の読み方が「こだに」になります。どちらでもOK!
高校を卒業して、東京のデザインの専門学校に入学。

その頃は、実は鳥取が大嫌いでした!

— そうなんですか!?

刺激を求めてたから(笑)
鳥取には何も無くて面白くないと思ってたから、早く刺激的な都会に出たかった。
そんな想いで、東京に行ったんだよね。

— 専門学校を卒業された後は?

最初はプロタクトデザインがやりたかったんだ。モノのデザイン。
それで、そういうのを勉強してたのだけど、専門学校って1年半経ったら就活みたいな感じで。とりあえず「どこかに入れ!」って指令で動くことになり……。

— 指令(笑)

それで、新卒で入社したのはペットボトルのおまけに付いてくるようなノベルティを作ってる会社に入ったの。
モノづくりやデザイン出来たら良いかもなーって思って入社したのだけど、実際は商社的な会社だったから、ちょっとしたチラシのデザインをすることはあれど、ほとんどは営業や見積もりを作る業務ばかり。

そして、肝心なモノを作るのは中国にある工場で、そこで出来たものを輸入するという感じで。

— じゃあ実際にモノを作る作業は中国でやっちゃって、自分では出来なかったと。

そう。金型とかも中国。

数が大きな仕事の時は「検品に行って来て」って中国に出張に行くんだけど、10年前の中国の広州なんて、道はガタガタだし、広野の中にある埃っぽい工場の中でモノが作られていて。

— まだ急発展遂げる前の中国ですね。

そんな体験をしてる中で、「この現実は自分が求めてることじゃないな」「デザインだけをちゃんと出来るところに行きたい」と思い始めて。

あと、ノベルティって”モノ”だけど一瞬の喜びしかない。
貰ったその時は嬉しいけど、無料で配るものだから(それ自体は)クオリティーが高いモノじゃない。そういうものって、たぶん捨てられるんだよね。
だから、自分がそんな捨てられるようなモノを作ってるようにしか思えなくなってきて。

どうせだったら、残るモノを作りたい、と想いが強くなって、転職を考えるようになってしまったと。
でもその会社で得た事は後にすごく役立ったし、無駄になることは一つもなかった。

— 転職先はどんなところに行ったんですか?

ちょうどそのタイミングで、レコード会社のデザイン部の仕事を見つけて。この仕事なら残るモノが作れるかもなって思って。
音楽だったら、CDとかのパッケージで残るでしょ。コレクターズアイテムだから、好きなアーティストさんのものはずっと持ってもらえるし、やり甲斐がありそうだな、と。そこで面接を受けたら、ポロッと受かっちゃって(笑)

— すごッッ! それが卒業から何年目ぐらいのタイミングですか?

前の会社を辞めてから、半年ぐらい充電期間があったから、2年経つ前くらいかな。春頃に辞めて、冬にその会社に入った感じ。

— ということは、22歳ぐらいの時ですかね。

そこが旧東芝EMI(現:ユニバーサルミュージックジャパン)というレコード会社のデザイン部(現:T&Mクリエイティブ)だったと。
東芝EMIは宇多田ヒカル、矢沢永吉、ユーミン、ビートルズ……、錚々たるアーティストが在籍する会社でね。
エレベーター乗ってる時に矢沢さんが乗ってきたりとか、そういう世界だよ。

— すげぇ(笑)

古き良き日本の会社って雰囲気で、みんな仲が良くて、服装もTシャツ&ジーパンでOK!みたいな自由な感じで、いろんな音楽を聴ける機会もあるし、ライブにも関係者枠で入れるし、ライブ後の楽屋に入れてもらえたり、プロモーション用のサンプルCDも貰えたり、役得満載で凄く楽しかった!

途中親会社や会社名変わったりいろいろあったけど、そこに5年間いたかな。27歳ぐらいまで。

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— そこはなんで辞めちゃったんですか?

いろんな人に同じ質問をされたよね(苦笑)

3年目ぐらいから、アートディレクションとかを任されるようになったり、だんだんと会社を取り巻く状況が変わってきて仕事量が増えてきて、やり甲斐ある分プレッシャーも感じてきたんだよね。

— アートディレクションって、どんなことをやるんですか?

曲を聴いて、ビジュアルの方向性を決めて、カメラマンさんは誰にするかとか、撮影はどこでするかとか、スタイリストさんは……、とかを僕が全部。

— そんなことまでやるんですね!!

で、それくらいに一度親会社からデザイン部だけ分社になったり、中堅の先輩がそのタイミングで辞めちゃったりして、担当する事が増えて終電生活が始まってね。さらに、デザインをいくら出してもディレクターさんのOKが出ない仕事とかも出てきたり。
それで精神的にかなり追いつめられて、「自分にはデザインの才能あるのかな?」って己の限界を感じ始めたりもして。

それと、入社して5年間は契約社員だったんだけど、正社員にならないか?っていうオファーがあって。

それ自体は良い話なんだけど、いつかは地元に帰らないといけないのかなーって想いや、このままずっと終電生活が続くのかなーとか、もし正社員になってしまうとこのままの生活でズルズルいってしまうんじゃないか、って色々と悩んでしまって。

— 今後もこんな生活を続けるのか、と。

そんな時に、休暇を消却するために気晴らしにバリへ旅行に行くことにして。
そこで、仕事からも、東京という喧騒(けんそう)からも、慌ただしい生活からも、全てから断絶されて抜け出して。
すると、バリの人たちはすごくゆっくりとした時間の中を、土地に根ざした生き方で過ごしていたわけで、なんだろうこの差は?と。

あと、バリってバリ・ヒンドゥーっていうインド仏教とヒンドゥー教が混ざったような宗教を信仰してるんだけど、バリ・ヒンドゥーは、神様とか精霊と、悪霊とか物怪と、どっちが良いとか悪いとかなくて、両方崇めるっていう価値観なの。善も悪も平等。

— へー!!そうなんですね。

全てがフラットです、って考えに凄くグッときて。
ゆっくりとした生活とか、土地に根ざした生き方をしたりとか、ちゃんと文化がある暮らしとか、いいなって思って。そう思うと、鳥取が何故だか恋しくなってきて。

「俺は仕事に追われるだけの慌ただしい生活の中で毎日何をしてるんだろう」って思えてきて、それがUターンをする大きな後押しになったかな。

他にもじいちゃんが亡くなったり、姉ちゃんに姪っ子が産まれたり、リーマンショックで実家の経営(現在、デザインオフィスの二代目として引き継いだ形)が煽りを受けていたのもあって。家族の変化が大きくなってきたから、一旦30歳になる前に戻ってみるのもありかなと思ったり。
そんないろんなタイミングが重なったのもあるかな。

まあやっていけなかったら、また東京に戻るしかないか、ぐらいの気持ちで。

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— それが27歳の時ですね。

で、帰ってきてから1年間ぐらいは何もしてなかった。

— そうなんですか!? ちょっと意外です。

その1年間はずっとモヤモヤしてたというか。
なぜかと言うと、東京にいた自分って、分身をいっぱい作ってたから。

— 分身を作ってた…?

これは都会にいる人特有の現象だと思う。

— どういうことですか?

友人の前の自分、会社での自分、彼女といる時の自分、家族の中の自分……、そうやって使い分けてないとしんどかった。使い分けることが気分転換だった。

でも、(鳥取に)帰ったら、家族の前の自分しかいないわけで。
そうなると、今までいた分身の行き場がなくなって苦しかった(苦笑)
いろんな自分で楽しんでたのが、1人の自分でしかいられない。

そこの統合作業をする1年間だったなと。

— へー、なるほど! その感覚は僕の中にはあまり無かったです!

すごい苦しかったんだけど、その時にすごく自分と向き合ったの。
「自分ってどういう人だったっけ?」とか「何が好きだったっけ?」とか「何を大切に生きてきたんだっけ?」とか。
毎晩悶々としながら寝れない日々を過ごして、徐々にそれが1つになっていって、『This is 自分』になっていったの。自分は自分だ、と。

そうなってからは気が楽になって、アクティブに動けるようになって。

— そのための1年間だったんですね!

で、東京から戻る前ぐらいから興味本位でドキュメンタリー映画を見始めてたんだけど、そうすると今まで自分が知らない世界の事に気付いてきちゃって、鳥取に帰ってきてからは時間があるからもっと沢山見て、さらに図書館に通って「まちづくり」とか「持続可能な社会」というキーワードが気になってきて、関連する本を読み漁ってた。
その当時読んだ、西村佳哲さんの『自分の仕事をつくる』という本にはかなり衝撃を受けたなぁ。

それで、自分にも何か出来ることないかな?って考えつつ、社会や世界のことを考えつつ……、そんなことをしている中で『幸せの経済学』というドキュメンタリー映画が見たくて調べてたら、大山のダチョウ観光農園で星空の映画館という野外上映イベントがあったんだよね。行ってみるとダチョウはその時は一羽もいなかったんだけど(笑)

「どんな人がやってるんだろう?会いたいな」と思って参加して会ったのが得田優(とくだまさる)さん。

彼も移住者で、移住してからの活動の始めがそのイベントだったの。それで自分もUターン者なんです、って話をしたら、「今度、UIJターンの人が集まる飲み会するから来なよ」って言われて参加したのが『IJUサミット』というイベントの3回目だったの。

30人ぐらい参加者がいたのだけど、そこにかなりのキーマン達が集まってたんだよね。

— そんな会が……。

でも、ちょっと名前がカタいなって思って(笑)
「”サミット”って仰々しいですよ、カフェにしましょう!」って言って、そこからIJUcafe(移住カフェ)と名前を変えて。
「言い出したからロゴは作りますよ!」って言って作って。自分も主催側に入っていって。

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このIJUcafeは鳥取・倉吉・米子の県内全域の参加者で続けていったんだ。

集まるのは大体中間地点の倉吉がほとんどだったけど、ワークショップをやったり、餅つきをしたり、凧揚げしたり、陶芸やったり、BBQやったり……、色々企画して参加者同士で楽しんで。

そこですごい人脈が拡がったの。面白い人がいっぱい集まってきたし!
3.11も起こったせいか、繋がりの重要さを認識できたというか。

それと、価値観のベクトルが都会と違って多様性があって、何を幸せとするか、何が好きか、という部分がみんな違っているんだけどみんな幸せそうで。

東京にいるのがしんどくなった理由に、全てが満たされているようだけど、その中で自分はどこまでも消費者でしかなくて、幸せの基準というのがお金をたくさん持つというベクトルでしか計れなかったのがあったのかもしれない。
鳥取は、そうではなくて幸せの価値観の多様性が広いなってその時思った。

そういう人と触れ合っている中で、名刺作ってよ、とか、今度イベント一緒にやろうよ、とかいろんなものが生まれてきたりした。

— それが、2011年ぐらいですか?

2011年から2012年末の2年ぐらい。

そんなIJUcafeだったんだけど、”移住者”という括りがあるからか、ある時期から参加者が固定して停滞してきたんだよね。場に新陳代謝がなくなってきたというか。
主催側も何かとやりたい事が他に出来てきたり、忙しくなったりしてきたから、遠方から集まって会議したり、企画を考えるのがややしんどくなってきて(笑)

それで、主催メンバーに入れ替わりがありつつ、それぞれがそれぞれの地でしたい活動を始めるようになってきたと。今IJUcafeはIJU大学や、IJUjobといった移住者支援に拡がってきているよ。

— そういう流れだったんですね。そこからトリの話しbaにはどのような想いで始めたんですか?

地元鳥取市にもIJUcafeのような場がほしいなーという想いはずっとあって。職場や友達以外の普段会う事ができない人と出会える場所や機会が見つけられなかったんだよね。
異業種交流会はビジネスしてる人しか来ないし、セミナーや講演会は交流が目的ではないし。
誰でもちゃんと話が出来て、且つ、主婦や学生でも気軽に参加出来る雰囲気の場所が欲しいな〜と思ってて。

そう思って、鳥取市に合う場所を模索するために、NPOで活動する人や、街の面白い考えの店主さんや、IJUcafeで出会った人に呼びかけて、場作り会議を開いたんだよね。

どういうやり方や場所がいいか話していく中で、ワールドカフェ方式を参考にして、ひとまずやってみようとなったの。それが2012年の6月頃。

会場の準備とかはその会議に来てくれた人が手伝ってくれて。今も参加してくれて気に入ってくれた人をスカウトして主催メンバーとして助けてもらってたり。

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— 昨日(取材日の前日)、めちゃくちゃ話しやすかったです!

それは良かった!
何か結論を出すやり方だと鳥取の人はたぶん嫌がるだろうなーと。

今では信じてもらえないかもだけど、自分自身昔は人前に立つのなんてすっごい苦手で、自分の意見を話したりするのも苦手で。
そういう気質って鳥取の人、特に東部の人はすごくあると思ってて。
日本の中でもシャイ・オブ・シャイだと思っているので(笑)

自分自身がそんなだから、そんな自分でも参加してみたくなるように、極力敷居は下げようと。
だから、話すテーマについては答えも結論も出さない。

それで、形としては4人1組でメンバーチェンジしていくワールドカフェ方式をベースにはしてるけど、鳥取に合うやり方にアレンジしていったの。

まずは、「会った事のない人と話をするのって楽しいよね」とか「まちなかの人が集まる所へ行ってみよう」というまちの入門口みたいな位置づけにしようと。
開催地を中心市街地にこだわるのも、県庁所在地の駅前の通りに活気がないのはなんだか寂しいなと思って。

それに、周りの移住者で面白いイベントをやってるんだけど、市街地や山間部でやってることが多いから、人を集めるための告知をする方法が当時少なかった。だから、街に人が集まる場所を作れば情報が流れるかな?、と。

そんないろんな問題や想いを持った上で、トリの話しbaは始まった感じ。

— めっちゃいいですね! そんな想いを持って第1回が開催されたと。

第1回目は2012年の7月に五臓圓ビルで開催したんだよね。鳥取大火で焼け残ったビルなんだけど改修されてカフェも出来てて。ちょっと文化的な雰囲気がありつつリラックス出来る場所だからいいなーと。

ただ、参加人数が増えてくるとちょっと狭くて。
あと、音が反響する造りで話すのに適さなかったり、複数個の部屋を使わないといけなかったから一体感が出なかったり、時間の縛りが20時までで。
最初は無理言って22時まで開けてもらってたんだけど……。

それで7回目以降は、22時まで使えて広い”市民交流ホール”というまさしく!な名前のパレットとっとりに場を移して定着していったんだよね。

— それから今回の27回目まで、ずっとパレットとっとりなんですか?

1回だけcafe SOURCE BANQUETがあったけど、それ以外はパレットとっとりだね。

— トリの話しbaは約2年半ぐらい続けてますが、何か変化はありましたか?

そうだね……。
参加した人がポジティヴな変化を起こして、参加者同士イベントを手伝って開催できたり、人前に出るのも躊躇う人が明るく笑えるようになったり、大学生が社会人に就職の悩みを相談できて進路が決まったりしてるとこは見てきたかな?

形に残ることは少ないかもしれないけど、人が出会って、話しをして、情報が回って繋がっていく中で、自分の見えてないところで何かが起こっている可能性は十分あるし、見える何かを期待しているってよりは、1人1人の意識が変わっていく中で、この世界が生きやすくなって、それによって総合的に街がアップデートされていくといいかなって。

鳥取に愛着や誇りを持つ人が増えることで、ちょっとでも街が良くなるきっかけになると嬉しいかな。

— その感覚はわかります! 僕がインタビュー記事を挙げているのも、そんな感覚です。

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— 昨日の話しbaで米子の方が話してくれたことなんですけど、彼曰く「米子は単発なものはいっぱい出てくるけど、個人プレーで繋がりがあんまりない。鳥取はどんどん繋がっていっている感じがするので、羨ましい。その理由が知りたくて、今回わざわざ米子から参加した」と。その意味では、トリの話しbaのような場があることで生まれてきている見えざる効果なのかな、と思ったのですがいかがですか?

なるほど。それは嬉しい意見だね!
立ち上げた時の想いとしてもう1つあったのが、その時の現状の鳥取は僕もそういう風に見えたの。いろんな人や団体がいろんなことをやっているんだけど、そこが交わっていっていないというか、同じように個人プレーに見えたんだよね。

それが何でかな?と思ったら、やっぱり接点がない。

だから、フラットに、肩書き関係なくどんな人や団体の人が来ても良いし誰でも広報してもいいから、その人が直接来て、やってる活動を直接発信して、交われる場になれたらな、というのもあった。

— 直接聞くと響きますもんね。

そうそう。
それに、どんな人がそれやってるの?とかわかるでしょ?チラシ1枚もらっても、想いがある人の解説が加わると「なるほど、行ってみようかな」ってなるよね。

— そうなんですよね。僕が最近インタビューの方がいいな、と思うのも、そこなんですよね。客観的な紹介ではなくて、当事者の言葉をそのまま伝えた方が、伝えたい人に響くだろうな、と。

実際に何かやっている人の話を聞きたいというのはあると思う。
話しbaも想いは同じで、出会ってきた素敵な活動をしてる人を紹介したい、知ってもらいたい!と思ったから、去年(2014年)の4月からは最初にゲストの話を聞いてから、その人に関係するテーマで話をするという形に変化させてて。

— 本当にいい仕組みだと思いました。ゲストスピーカーとして最初に話した高藤さんのことも、参加していた人のことも、深く知ることが出来たので。
(高藤さん:話題のかつ江さんの作者。後日インタビュー記事をUPします)

その後、参加者と同じテーブルにゲストの高藤さんも入る、ってのがいいでしょ?(笑)
参加者はゲストの話を聞いただけで帰らずに、その後ゲストと一緒に同じ目線・環境で話ができるっていう。

左端が高藤さん。参加者に混ざって話を聞く。
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— あのスタイルのイベントで、参加した人のバックグラウンドをしっかり理解出来たのって、今まであんまり経験がなくて。本当に凄いと思いました。帰っても「楽しかった〜」っていう余韻に浸れましたもん(笑)

そっか、そっか(笑)

— 鳥取にはいろんな人がいて、いろんな事があって、鳥取も捨てたもんじゃないな、って再認識しました(笑)

敷居は下げているんだけど、まだ誰もが来れるわけじゃなくて、「話をしたい」という想いが無いと参加しないと思うんだよね。それが1つのフィルターにはなっていて、そのある一定以上の気持ちがあるからこそ、場が和やかで上手くいくというのもあるかな。

あと、過半数は1回は来たことのある経験者だけど、3分の1は新規参加者がいるのが大事で。その循環が生まれないとダメだと思ったから、最初からそうなるような仕組みにしたいと思ってやってきたんだ。

— そこの工夫とか教えてもらえたりしますか?

最初のうちは「紹介カード」なるものを配ったんだよね。

— 紹介カード?

話しbaの基本情報と次の開催日を書ける紙を、帰る時に渡すの。要は、口コミツール。
それを友人と話す際のきっかけにしてもらって、その紙を渡して次回連れて来てもらえたらな〜、と。

— なるほど。それだと誘いやすいですし、新規の方も来やすいですね。

と同時に、Facebookが盛り上がっていって告知できる土壌が出来てきた。
実は「鳥取イベント情報板」というFacebookグループの管理人をしてて。

— あっ、そうなんですか?

そうなんです(笑)
当初はIJUcafeとかで知り合った人のイベントを知ってもらおうと思って作ったんだけど、いつの間にかブワーーっと人数が増えてきて、気付くとインフラになっていたと。

Facebookって他の人に伝えるときには、シェアしないと見れないんだけど、1人がシェアしたところで、その情報が見れるのはその友達の友達ぐらいまででしょ?
大多数に告知出来るツールではないんだよね。
でも、グループを使うとそれが出来る。

— 確かにそうですよね。Facebookのアルゴリズム的にも、グループの方が告知には向いているかもしれないです。

Facebook人口も増えて、グループ人口も増えて、ここに告知すれば紹介カードが無くても新規の人が来てくれるようになってきたのは予想外のラッキーだった!

— そのインフラが出来てしまったのは、すごいな。

「鳥取のコンプレックス」について語った参加者のメモ
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— 最後に。トリの話しbaの今後については、どんなことを考えてますか?

今年からのトライなんだけど、普段話しにくいことを話せる場にしたい。
もちろん居心地の良さはキープしつつ。

「今日この場所はこのテーマを話しても良い場所なんです」、と定義することでようやく話せることもあると思って。そんな想いから次回テーマは「選挙」。

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話しにくいテーマばかりにはしないけど、普段話せない話題に向き合う機会を作る方が、実は有益なのではないかな?、と。

そういうことを鳥取の人はなかなか表向きの場で語らない。
その気質を変えていかないと根本が変わっていかない気がしてて。

それが行政の体質にも色濃く出てるのかもなと。市庁舎建て替え問題や、かつ江さん問題とか、臭いものには蓋をしようとか、めんどくさいものには触らないとか。
説明して対話をして解決しようということが感じられない。

そういう点では富山県氷見市は興味深いまちづくりをしてて。廃校になった高校を庁舎に転用したり、その時には何回も市民とワークショップを重ねて意見を聞いたり、会議室がオープンだったりと、市民の意見をきちんと聞いてそれを反映する仕組みを整えている。

参考記事

結局、そうしていかないと変わっていかないし、何か問題を提起しようとしても、それを受け入れてもらえない体制だとわかってると、人は動こうとしない。

— 「どうせ無理」って意識が染み付いちゃいますもんね。

そうそう。
もちろん、行政だけが変わることだけで良くなる訳ではないけど、その体質を打破することの一つとして、こうした誰でも気軽に話せる場を用意して、言いたいことや思ってることを言える雰囲気を作っていき、市民の声をもっと表に出せる場を増やしていく。
そうして風通しを良くすることで徐々に街も変わっていくんじゃないかな、と。

この1,2年は、そういうことに向けた土壌作りの段階と捉えてたかも。
鳥取の人に何かを浸透させるのは時間かかるってわかってたから。

少しづつメディアにも取り上げられ始め、社会的にも認知され始めたから、これからはもうちょっと具体的な街や社会の問題とか、より有意義な話が出来るようになっていけばなーと。

— なるほど……、先は長い……。先を見据えてステップを踏んでいこうということですね。

なんとなくだけど、一歩ずつ少しずつそんな感じが鳥取らしいかな?

あと、積極的にいろんなお店や、違うコミュニティ、活動団体や、学校なんかとコラボしてもっと繋がりの幅を深めていきたいね!

— 長期構想、僕も乗っかっていきますね!今日はありがとうございました!

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http://torinohanashiba.jimdo.com/

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2017年5月27日インタビュー, 鳥取

Posted by りょうかん