インタビュー - 熱海経営者特集 PR

【静岡県熱海市】この街にカフェ文化を築いた「CAFE KICHI」のオーナー・青木孝憲は、等身大の事業家だ。

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ある人は言っていた。「あそこが熱海のカフェ文化の原点だ」と。

またある人は言った。「あれが古民家カフェの始まりだった」と。

熱海駅からほど近い商店街の路地で日常を紡いでいるその場所は、衰退の一途を辿っていたこの街に、確かな希望の光を灯していたのだと思います。

観光ではないこの街のポテンシャルを知るためには欠かせない。

今回は、熱海のカフェ代表格「CAFE KICHI」のオーナーに、お話をうかがってきました。

青木 孝憲(あおき たかのり)
1973年生まれ、熱海市出身
CAFE KICHI 代表

正直言うと、取材前は少し緊張してました。しかし、そんな緊張が一瞬で吹っ飛んでしまうほど、青木さんは柔らかな雰囲気でお話をしてくださいました。

そして、その柔らかさの通り、事業に対するスタンスはとても落ち着いたもの。自分たちの手が届く範囲を少しずつ広げながら、事業を着実に大きくしてこられたのだなと感じます。

「CAFE KICHI」「KICHI+」「KASHI.KICHI(現在は「基地」に変更)」と事業展開してきた先輩事業家の話は、本当に参考になることだらけです。

(聞き手:りょうかん)
取材日:2018年6月7日

この街のポテンシャルは「観光」ではないのかもしれない。【静岡県熱海市】の経営者特集、はじめます。「熱海が盛り上がってるらしいね」 ここ数年の間にこの言葉を何度聞いたことだろう。統計データ上でも2011年を底にして観光客数はV字回復...

熱海の路地に下北沢の空気を感じた

── お忙しい中、ありがとうございます。まずは簡単に自己紹介をしていただいてもいいですか?

青木 「CAFE KICHI」の代表をしている青木孝憲(あおきたかのり)です。熱海出身で、子どもの頃からこの駅前の商店街を走り回ってました。

大学進学を機に熱海を離れたんですけど、大学は途中で辞めて、三島や東京で行ったりしながら25歳のときに熱海に戻ってきた感じですね。

── 東京では何をされてたんですか?

青木 学生の頃から音楽をやってたんですけど、熱が冷めなくてね。ライブハウスによく行ってたから下北沢に住みたい願望もあって(笑)

でも、音楽やってる時間よりもバイトしてる時間の方が長かったから、言うならばフリーターですね。

── 熱海に帰ってくるきっかけは何だったんですか?

青木 25歳に差し掛かっていたし、東京に出て音楽を3年やったから、そろそろ見切りをつけなきゃいけないなと。それで実家の干物屋に戻って、29歳までは干物屋の仕事に精進していましたね。

── 「CAFE KICHI」を始めたのは29歳の時ですか?

青木 そうだね。東京で最後にやったバイトが飲食業だったんですけど、その1年間の経験が自分の中に残っていてね。

あの場所は、元々実家の干物屋の倉庫だったんだけど、あまり使ってなかったんですよ。だけど、路地裏に面白いお店があるような下北沢に似た雰囲気を感じて。

あそこなら下北沢みたいな空気を再現できそうだし、大きさ的にもちょうどいいなと。

「CAFE KICHI」のある路地

── じゃあ元々カフェをやろうと思ってたんですね。

青木 いやいや、実はカフェに対する憧れはないんですよ。

── えっ、どういうことですか!?

青木 「CAFE KICHI」をデザインしてくれたのがケンブリッジの森藤原慎一郎さんなんですけど、小中高の1個上の先輩で、ずっと可愛がってくれていたんですよ。

彼がデザイン事務所を構えたばかりで仕事が少ない頃に沼津でカフェを始めてて、休日はよく遊びに行ってたんです。そのときに「お前もカフェやれば?」「何を言ってるんですか!」みたいな会話をしてたんですけど、そうしているうちにあの場所でやってみようという気持ちになってきた感じで。

古民家カフェの火付け役「CAFE KICHI」

── そうだったんですね。じゃあ半分勢いというか……

青木 カフェ(喫茶業)の修行したわけでもなく、オープンの半年前に「カフェやってみようかな」と思って始めた感じですね。

だから、最初はやれるところからと、飲み物とケーキぐらいしか出してなかったかな。小さく始めながら、仕入れてたケーキを自分たちで作り始めたり、食事メニューを出してみたり。そうやって色々と試しながらやってきた結果、今の形にたどり着いていったんですよ。

スタートしたのが2003年なんですけど、まさかこんなに長くやるとは思ってなかった(笑)

食事系カフェ、菓子製造拠点、そして物販へ

── 「CAFE KICHI」を始めてから、「KICHI+」「KASHI.KICHI」と展開していくのはどのような流れだったんですか?

青木 どこの店舗も、試行錯誤の延長線なんですよ。

「CAFE KICHI」でカレーを出し始めたら、お客さんの反応が良くてお客さんがどんどん増えてきた。だけど逆に、始めた頃に大事にしていたお店の空気感が崩れてきてしまっていて。

それで増えすぎていた食事のお客さんを担える場所として、「KICHI+」を始めたんです。

喫茶系カフェの「CAFE KICHI」と食事系カフェの「KICHI+」とで住み分けができるような感じに持っていこうと。

「KICHI+」は実家の干物屋のすぐ隣

── なるほど。では「KACHI .KICHI」は…?

青木 「KACHI.KICHI」もベースは同じですね。元々カフェの製菓の部分を「CAFE KICHI」の地下スペースで担っていたんですけど、家庭用オーブンしか使えなかったりとすごく貧相で。

そんなときにあの場所を使うかという話をいただきまして。以前はパン屋さんだった場所なので機材もうまくはめ込めて、せっかく工房を作るならそこでお菓子が買えるようにしたいよねと。

それで菓子製造と菓子販売の拠点にすることにしました。

── 他の2店舗が駅前の商店街エリアにある中で、商店街から外れた場所で営業をすることにしたのは、何か理由があったんですか?

青木 想いは色々とあってね。ひとつは、市来くんたちが銀座通りを中心に海側エリアの活性化をしてくれている中で、駅前の商店街を回遊する人たちが下に流れていく道筋ができてないなと。だから、その間を魅力的な店舗で埋めていかないとと思ったんです。

あと、路面店を出すことで、うちとしても車で通る人に向けての宣伝になる。その意味でもあの場所に拠点を据える意味はあるのかなと。

だけど、やってみて、商店街から人の流れを作るのは難しいなと感じますね。

── やっぱり難しいものですか。もしかして、物販メインの営業に変更したのは……?

青木 物販に切り替えたのは、オープニングの頃から製菓を担ってくれていたスタッフが辞めることになったのが大きいですね。

新しいスタッフが製造業務は続けてくれているんですけど、製菓は繊細な仕事でして。今までと同じ味と量を継続提供していくことは、今の僕らには難しいかなと。

それで、2017年12月から物販をメインにする営業に切り替えて、店名も「基地 – teshigoto – 」に変更した感じですね。

── なぜ“物販”だったんですか?

青木 元々、飲食店の2店舗はギャラリーとしても活用していて、知り合いの作家さんの商品や作品を売っていたりしていたんですよ。だけど、飲食が忙しくなってきたことで取り扱いやめてしまった経験があって。それで、改めてその作家さんたちのものを届けたいなと。

それに、今取り扱っている商品は丁寧にその価値を説明したいものが多い。そう考えると、人や時間の流れがゆっくりな今の場所だからこそ適しているのかな、と思ったりもしてます。

人と接する時間をもっと作りたい

── スタッフが辞められたこともだと思うんですが、続けていく上で苦労したことはありましたか?

青木 あんまり無いんですよね。自分は事業を立ち上げた立場なので、やって当たり前というか。人から見れば苦労してる風に見えてるのかもしれないですけど、自分はそんな風に思ってないんですよ。

結局、商売というのは、お客様が喜んでくれるものを見つけて作っていくことに尽きる。それがハマればお客様が付いてくれるし、ハマらなければまた新しいものを見つけていくだけなのでね。

── 苦労を苦労と感じてないんですね。

青木 難しいところは『人を育てること』かもしれないですね。人を育てることに関しては、全然ダメだなと感じてます。だけど、組織としては大事なところでもあって。

短時間の人も含めて20人弱いるスタッフを、自分だけで細かくケアするんじゃなく、ケアしてくれる人材を増やしていくことも意識しないとなと思ってます。少しずつ層を厚くしていくというかね。

── 15年前から熱海も色々と変化があったと思うんですが、最近の様子はどう捉えてますか?

青木 市役所の人のメディア対応のおかげで露出が多くなって、若い人たちが来てくれているなとは感じます。特にうちの事業は20〜40代がメインターゲットではあるので、今の流れはありがたい話ですよね。

ただ、僕が子どもの頃と比べると、商売の形も変わってきてると思うんですよ。事業を立ち上げたときにもスタッフと共有しながらやってたんですけど、観光地特有の価格設定みたいなのは今はちょっと違うよね、とか。

── たしかに、若い世代は「観光地価格」というものに違和感があるかもしれないです…。

青木 値段だけじゃなくて、接客とか商品の作り方なども含めての話だけど、昔ながらの観光地の悪しき風習は変えていかなきゃいけないと思うし、自分たちはそうではない事業のやり方を目指していきたいなと。

ただ、今どうなんだと聞かれたら、自問自答しなきゃいけない部分もあるかもしれないですが(苦笑)

── 昔はリピーターを獲得しようとする意識が薄かったのかもしれないですね。

青木 「また来たよ」と言ってくれるお客様が増えれば増えるほど、仕事は楽しいですけどね。飲食業を選んだのも、人と接する時間をもっと作りたいという想いもあったんです。

干物の販売だとアッと言う間に接客が終わってしまうけど、飲食業だと1杯コーヒーを飲む間にコミュニケーションが取れる。そういうのが面白いんじゃないかなと思ったんです。

── お客さんとコミュニケーションを取ることが好きなんですか?

青木 それもありますね。あと、熱海を選んで来てくれた人たちに対して、この土地で商売している僕らが伝えられることってあると思うんですよ。それは商品だけじゃなく、内装や置いている本、かけている音楽だったりも含めてね。

そういう部分で「このお店に来て良かった」と思ってもらえるのが、僕らなりの商売の仕方なんだろうなと。さらに、そこへコミュニケーションを付け加えられていくと、より深みが増すんじゃないかなって。

── そうやってお店のファン、熱海のファンが増えてくることで、熱海に関わる人が増えてくると、とても良い循環になりそうですね!

青木 熱海という街は、若い子たちが帰ってきにくい(入ってきにくい)環境でもあったと思うんですよ。僕は実家が持っていた物件でスタートできたけど、それは本当にラッキーな話であって。

ただ、今は熱海で商売をやったら面白そうだなと思える雰囲気が出てきてる感じがしますよね。それは、新しく若い経営者を呼んだり育てるきっかけ(例:創業支援プログラム「99℃」など)を作っていることが大きいんだと思うんですけど、そのような流れがある種の希望になっているとも感じていて。

街に新陳代謝が起きて、新しい商売がどんどん入ってきて、昔から続いている商売とも共存する。そうなるとベストな街になっていくと思うので、僕らもその一役を担えたらと思いますね。

── これらの流れも、青木さんが「CAFE KICHI」を始めたところから徐々に周囲へ波及していった結果のような気がします。これからも新しい風を吹かしてくれるのを楽しみにしてます! 今日はお時間を作っていただいて、ありがとうございました!

青木 孝憲(あおき たかのり)
1973年、静岡県熱海市生まれ。千葉の大学を中退。2003年に「CAFE KICHI」をオープン。2008年に「KICHI+」を、2014年には「KASHI.KICHI」、2017年末には「基地 – teshigoto –」へリニューアルと、次々と事業展開している。

CAFE KICHI
住所:静岡県熱海市田原本町5-9
営業時間:11:00〜19:00
定休日:水曜日
電話:0557-86-0282
WEB:http://www.cafe-kichi.com/

(この記事は、独自制作した特集記事です)

文章/撮影:りょうかん
インタビュー会場:KICHI+

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りょうかん
1990年11月 鳥取市生まれ / ブロガー兼WEBライター / 鳥取と熱海の二拠点生活中 / ✍毎日noteを書いてます / Amazonほしいものリスト / お仕事のご依頼は こちら を参照ください