インタビュー - 熱海経営者特集 PR

【静岡県熱海市】「人生とは荒波を越えていく大航海だ」僕が熱海マリンサービス代表・光村智弘から教わったこと。

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温泉街、昭和レトロ、観光地…。

そんなイメージを持って初めて熱海を訪れたとき、最も驚いたのが海沿いに並ぶ船の美しさでした。

まるで地中海のリゾートにいるような気分にさせてくれるだけでなく、熱海の「海」を身近に感じさせてくれる場所でもあります。

今回は、そんな熱海の景色を生み出した「熱海マリンサービス」の代表に、お話をうかがってきました。

光村 智弘(みつむら としひろ)
1962年生まれ、鳥取県出身
熱海マリンサービス株式会社 代表

真っ黒に日焼けした顔でいつも陽気に接してくれる光村さんですが、その裏では経営者として大きな苦悩も経験されたそう。

その内容は、今回の「熱海経営者特集」でインタビューした8名の中でも、最もインパクトが大きいものでした。(うまく消化できずに編集も大幅に遅れてしまいました)

もし自分が同じような状況に直面したとき、光村さんのように明るく未来に向かって歩き出せるだろうか…。とても考えさせられ、そして自分の苦悩の小ささにハッとさせられました。

「大きな波を乗りこなす経営の方が面白い」
「人生は荒波を越えていく大航海なんだ」

光村さんの話からそんなことを教えてもらったような気がします。いま苦しい状況にある人には勇気がもらえる内容です。ぜひ最後まで読んでみてください。

(聞き手:りょうかん)
取材日:2018年6月5日

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海と一緒に育ち、船に関わる仕事に憧れた。

── 今日は時間を作っていただいて、ありがとうございます。まずは簡単に自己紹介をお願いしてもいいですか?

光村 熱海マリンサービスという会社をやってる光村智弘(みつむらとしひろ)です。鳥取県東伯郡泊村の出身で、小学校に上がるギリギリまでは鳥取で育ちました。

6歳から宮大工をやっていた親父の転勤で神奈川県の山北町に移って、20歳までは山北町に住んでました。

── そう、実は同じ鳥取出身なんですよね。熱海マリンサービスの事業内容も簡単に教えてもらえますか?

光村 『海を安く楽しく安全にをモットーに伊豆の経済発展に貢献する』という経営理念を掲げて、マリーナ(ヨットや小型船を泊めておく港や施設)の管理や、船の販売・メンテナンス、あとは海のアクティビティを関わることを通じて海に親しんでもらうような活動をしたり、そんな感じかな〜。

── 海や船に関わる仕事をしようと思ったきっかけって何だったんですか?

光村 大きいのは生まれ育った場所かな。鳥取の泊村の家の裏がすぐ海で、そのイメージが自分の中にずっと残っていたんだよね。

神奈川に引っ越してからも、週末になると真鶴の海に遊びに行ったりしててね。で、そのときに真鶴のマリーナから出航するレジャーボートとかを見てて、カッコいいなって憧れてたのもある。

── じゃあ最初から海の仕事に?

光村 いやいや。親父が大工だったから兄弟3人とも親父の元で大工をやってた。でもね、親父とどうしても意見が合わない部分があったりして、あるとき神経性胃炎になっちゃった。職場に行くと吐いちゃうぐらいに全然ダメな状況になっちゃったの。

それで、大工を辞めて別の仕事をしようと考えた。そのときに「船に乗ってみたい」という昔の憧れが湧き出てきて。

で、今から船に乗れる仕事に就くためにはどうしたらいいだろうと考えながら、三浦半島にある『佐島マリーナ』に1週間毎日通ってみたの。

── ほう。

光村 色々と悩んではいたんだけど、やっぱり船に関わる仕事がしたいと思って、飛び込みで熱意をプレゼンしに行ったんだよね。そうしたら「うちは募集してないけど、真鶴のマリーナに欠員があるみたいだから紹介してあげる」と言ってもらえて。

それで、『日産マリーナ真鶴』というところで海に関わる仕事をスタートさせた。

── そこから熱海に来るまでは…?

光村 話すと長くなるんだけど、日産マリーナ真鶴で4年間働いたあと、東京で新しいマリーナを作るという話があってその手伝いに行くことになったの。なんだけど、2年ぐらい許可の関係で進展しなくてね。

そうこうしている間に、自分のお客さんだった人から「自分の所有している船の雇われクルーにならないか?」と直接お誘いをいただいて。

結局そのクルーの依頼を受けて、その船の係留場所が熱海だったわけさ。当時はまだ岸壁がテトラポットだったりしてね。そこから熱海で船にまつわる事業を始めることになっていくんだけども。

2千万円の大博打と、突然の大災難。

── 今でこそマリーナは熱海らしさのひとつになってるように感じてるんですけど、昔はテトラポットだったんですね。

光村 そうなの。実は、あのマリーナが整備される過程には自分も関わっててね。当時熱海の青年会議所に所属していて、大阪市が自治体として建造した帆船「あこがれ」を1995年から3年間誘致したり、そんな活動をしてた。

その関係もあって大阪市とやり取りをしている中で、『SAIL OSAKA ’97』でヨットレースのための桟橋が作られる、そして、レース後には廃棄処分になるという話を聞いた。

ちょうど熱海にマリーナを作ろうという活動もしていたから、その桟橋を熱海に浮かべることで「これがマリーナだよ」と提案できたらと企てたの。

── もしかして、その大阪のヨットレースで使われた桟橋が今の…!?

光村 そういうこと。その桟橋を熱海に持ってくるだけで1,700万円かかるぐらいの話だったし、実際持ってきてもマリーナ化されずに無駄になっちゃう可能性もあった。

博打に近いような大きな賭けだったけど、いろんな人の協力もあってなんとか今のマリーナが整備されていった。感慨深いものがあるよね。

── 2千万円近い博打…。想像ができないです。当時は何歳ぐらいの頃だったんですか?

光村 その当時で32〜33歳だったかな。でも、早いうちに大きなトライをして成功しちゃったもんだから、遅くても50歳には引退して若い人に事業を譲ってしまおうという想いが芽生えちゃった。

振り返って考えると、それが良くなかったね。

── 何か大きなトラブルがあったんですか?

光村 ある時期までは本当に好調で、最大で9人の従業員を雇ってた。熱海だけじゃなくて伊東のマリーナ管理も始まって事業も大きくなってたから、彼らに任せる仕事の幅も増やしてた。

早く引退したい想いもあったから、どんどんどんどん任せていってね。そしたらいつの間にか会社のお金をザルのように使い始めていて…。それだけじゃなく、お客さんとの間でもたびたびトラブルを起こしたり…。

── それは…、かなり危険な状態ですね。

光村 途中で自分が気づいて注意できれば良かったんだけど、それが出来なかった。

お客さんにも業者にも過剰サービスをしてたみたいで、会社のお金はみるみる減り……、ついに弁明できない状態までいっちゃったタイミングで、従業員全員が一斉にいなくなった。ある日突然ドロンって。

── えっ………。

光村 ほんとに自分が気づけなかったのがいけないんだけど、まさかそんな状態になってるとは思わなくてね。一斉にいなくなったときには、お客さんからの信頼もズタボロになってた。

チェックしきれてなかった自分の責任なんだけど、そんなことがあったのがが4〜5年前かな。

── ちょうど僕が熱海にいた頃じゃないですか…。そんな状況だったなんて…。

光村 りょうかんに出会った頃ってほんとスンゲェ苦しかった頃だったんだよね。それからは伊東のマリーナから撤退したり事業を縮少していって、売上で言えば良かったときの2割以下ぐらいまで一気に減ったのかな。

でも、ありがたいことに自分のファンの方や応援してくれる人がいたおかげで、なんとか会社は維持できてる。

経営が上々だった時期に付き合いのつもりで銀行から大きな借入をしてたんだけど、いまはそのお金を必死に返しながら事業を続けているような形だね。

── 規模は小さいですけど事業をして借入もしていた身として、スッとは受け止められない話ですね…。言葉が出ないです。

光村 今の自分の使命は、息子が事業を引き継ぐと言った時のために借金を無くしておくことだと思ってる。

もちろん熱海という土地は津波のリスクとは隣り合わせだし、南海トラフ・相模トラフの脅威だってある。それでも息子が帰ってきたときに困らないような状況にしておくことが、自分に課せられたミッションかなって。

熱海のポテンシャルはまだ引き出されてない。

── 熱海が嫌になることはないですか?

光村 正直に言えばあるよ(笑)

でも、いま熱海を離れて他の地域でなにをやるのか、っていう話でさ。また新たに信頼を築いたり色々なものをイチから始めることを考えたら、熱海でやれることをやりたいという想いの方が強いかな。

── 熱海でやれることがまだまだあると?

光村 そうだね。熱海の地の利を活かしてやれることはまだまだあると思う。

たとえば、高齢化率が高い熱海だからこそ高齢者に対して優しい街を目指すとかね。歴史的な背景を紐解くと、徳川家康が叡智を養ったりした湯治(とうじ)の場所だったりもするわけだし。

坂が多いことを逆手に取って、最新の電動車椅子や階段の昇降機の実験をしたりとか、独居高齢者たちが一緒に住めるシェアハウスのようなものをやったりとか、そういうきっかけを作っていけないかという話はしたりしてるね。

── 介護タクシー事業をしている伊豆おはなの河瀬夫妻も話されてましたけど、熱海で必要とされている事業はまだまだありそうですよね。

光村 だね。海に関することで言うと、熱海には下田みたいに本当に綺麗な海はないんだよ。だけど、伊豆の玄関口として考えれば新幹線で来やすい場所ではある。

だから、体験型のものを提供するには適してるんじゃないかなって思ったりはするよね。熱海で伊豆の海を体験した人が、伊豆の奥に行けば行くほどディープな海の楽しみ方をできるようにしていくみたいな。

── たしかに、外からの目線でも「熱海で体験できる海のアクティビティがもっと充実したらいいのに」と感じることは多いです。具体的に考えてることもあるんですか?

光村 実は熱海で導入したいルールがあってね。ハワイなどではマリーナに置いてある船は年中オーナーが使うわけじゃないから、空いている時期はペイドクルー(ペイドキャプテン)が付いて船をレンタルしてるんだよ。

すると一般の人でもチャーター料を払えば船を使えるようになる。オーナーも年間負担するべき費用が減るわけだし、熱海に来た人にも新たな楽しみ方が提供できる。

月に1回も動かなかった船の出航率が上がると、船のメンテナンス的にも良かったりするし、どうにか実現したいなと思ってるところ。

── それめちゃくちゃ素敵ですね!

光村 だよねー!

── 船版のAirBnBと言うか、新たなシェアリングエコノミーの形としてもとても意義のあることだと思います! 僕も彼女とチャーターしたいです!(いないけど)

光村 実現するためには、「マリーナ内で商売をしてはいけない」という日本での暗黙のルールをクリアしなきゃいけなかったりもするんだけどね。でも、それって船を置くときに結んでいる契約書の条項を見直すだけでOKだったりもする。

もちろん運用するときの取り決めなどはしっかり作る必要があるけど、なんとかハードルを乗り越えて実現したいよね!

── 実現するのを楽しみにしてます!
長時間になってしまいましたが、今日は貴重な話を聞かせていただけて嬉しかったです。
経営者として苦難を経験しても未来に向かって歩み続けてる光村さんの姿が、とてもカッコ良く見えます! またゆっくりと飲みましょう(笑)

光村 智弘(みつむら としひろ)
1962年、鳥取県東伯郡泊村生まれ。
1991年に発起人の大熱海漁業協同組合の網元さんと共に「熱海マリンサービス株式会社」を立ち上げ、代表となる。NPO法人シップチャンドラーの代表や、一般社団法人グリーンエネルギー推進協議会の理事なども務める。

(この記事は、独自制作した特集記事です)

文章/撮影:りょうかん

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りょうかん
1990年11月 鳥取市生まれ / ブロガー兼WEBライター / 鳥取と熱海の二拠点生活中 / ✍毎日noteを書いてます / Amazonほしいものリスト / お仕事のご依頼は こちら を参照ください