熱海の名物と言えば、温泉と並んで頭に浮かぶのが「干物」。
100年以上続く老舗の干物屋も数多くあり、街中の干物屋が風景の一部になっています。まさしく熱海には無くてはならない存在です。
今回は、そんな熱海の干物屋のひとつ「釜鶴」の五代目に、お話をうかがってきました。
二見 一輝瑠(ふたみ ひかる)
1978年生まれ、熱海市出身
株式会社釜鶴 代表(五代目)
釜鶴は江戸時代から約150年続く老舗中の老舗。しかし、家で魚を食べる習慣が減ってきた今の時代、老舗と言えど安泰ではないはずです。
そんな時代に五代目として事業を引き継いだ一輝瑠さんは、どんな想いで経営に取り組んでいるのでしょうか。
釜鶴として大事にしていること、継ぐことを決めた経緯・葛藤、今後のこと、そして熱海のまちづくりに対する想いなどをお聞きしてきました。
(聞き手:りょうかん)
取材日:2018年6月7日
約150年続く老舗干物屋の五代目。
── 今日は取材を受けていただいき、ありがとうございます! まずは自己紹介をお願いしてもいいですか?
二見 株式会社釜鶴の五代目をしています、二見一輝瑠(ふたみひかる)です。大学の時に一時期離れたんですけど、熱海生まれの熱海育ちです。
── 五代目って強烈なインパクトがありますね。今で創業何年になるんですか?
二見 150年ちょっとじゃないかな。正確にはわからないんだけど。
── 当時から干物屋さんなんですか?
二見 先祖は網元だったから漁師だったはず。なんだけど、初代の父が漁民一揆を起こした首謀者として八丈島流しの刑を受けてしまって。民衆の味方をした一揆ということで最終的には勝訴してるんだけど、江戸時代だから罪は免れなかったらしい。
そのときに、家族にも罪が及ばないようにと縁を切っていて、同時に漁業権も失ってしまった。それで継いだ息子(初代)が干物屋として事業を始めたということみたい。
── そこから「釜鶴」としてはどのように事業展開してこられたんですか?
二見 江戸時代の頃は、冷蔵技術が発達してないから鮮魚の流通が出来なかった。だから、干物や煮干しにして江戸に送っていたんだろうね。
で、明治に入ってからは陸軍大将とか伊藤博文とか有力者たちが熱海に来るようになって、その食事として、鯵(アジ)だけじゃなく甘鯛の干物などを提供してたみたい。
── じゃあ基本的にはずっと干物を販売する形で事業をされてきたんですね。
二見 そうだね。新婚旅行の街としてブームになっていく中で、三代目四代目の頃は「いかに旅館と付き合っていくか」が大事な時代になってたみたいだけど。
というのも、当時の社員旅行はお土産代も会社負担だったから、全員に干物を持たせるみたいな文化があったわけさ。だから、父の若い頃までは物販でもそんな商売の形が成り立ってた。
── お土産代まで会社負担…。今じゃ考えられないですね。
二見 そうなんだよ。だけど、会社の経費も段々と認められなくなったり、ご近所付き合いする人が少なくなってきた影響で、お土産で干物を買って帰る人は減ってきた。
旅館ホテルとの付き合いで商売が成り立つ時代は長く続かない。その可能性が十分にあるということで、飲食店事業をスタートさせりね。
── 最初に始めた飲食店というと「海幸楽膳 釡つる」ですね。いつ頃にオープンされたんですか?
二見 スタートは1991年だね。自分が13歳の頃だった。干物を売ってたら「食べたい」と言う声は多かったみたいで。でも、売るだけじゃなく食べる機会も提供できると、お客さんには味の評価がダイレクトに伝わりやすい。
そういう釜鶴としてのストーリー性をわかりやすく伝えられるのは良いよね。その意味で、父には先見の明があったんだろうと思う。
鮮度の高い地魚で、豊富な種類を。
── 熱海には他にも干物屋が幾つもありますが、釜鶴の干物の大きな特徴は何になるんでしょう?
二見 色々とあるけど、やっぱり国際標準化機構の「ISO 9001(品質管理の国際規格)」を取得しているところかな。干物屋で取得しているところは無いからね。世界基準でトレーサビリティ (食安全を確保するために,加工・製造・流通などの過程を明確にすること) を取っていこうと。
あとは、鮮魚から自社製造しているのも珍しいと思う。
── 鮮魚から自社製造って珍しいんですか!?
二見 世の中に流通している干物の9割は冷凍なんだよ。鮮魚を干物に使うのは合理的じゃないからさ。それに干物を開くのも、周辺都市で下請け工場がやってる場合が多い。
── そうなんですね…。でも釜鶴はそうじゃないと。
二見 うちも以前は冷凍ものが多かったんだけどね。そんな中で私が加工場を任してもらうようになってからは、熱海の魚市場だけじゃなく、規模の大きな他の魚市場にも毎朝通うようになってね。それで美味しそうな魚を買っては、あれもこれもといろんな種類の干物をつくってみてた。
そうすると、やっぱり冷凍ものより鮮魚の方が、干物にしたときの仕上がりが綺麗だし、味も良いんだよ。だからこっちの方がいいよなと、徐々に鮮魚の割合が増えていった。
── 鮮魚の割合を増やすという判断って難しくなかったですか?
二見 当時は何も考えてなかったかな(笑) 当時は加工の現場にしかいなかったから、いろんな魚を干物にしてみたいという想いだけだった。
だけど、やっていくうちに、新鮮な魚を扱うから季節感も出てきたり、魚種も増えてきたりして、自然と新鮮な干物を扱う専門店化していけた。
── 少し話が戻るんですけど、ISOを取得してるのも、やっぱり安心安全な干物を届けたいという想いからですか?
二見 そうだね。義務化される前の早い段階から産地表示も実施してたしね。そういう部分をお客さんも見てくれてて「正直に商売してるね」と言ってもらうこともある。
鮮魚でやる割合を増やせたのも、冷凍ものと比べると価格が違ってきちゃうんだけど、それを理解してくれる良いお客さんがいてくれたからこそな部分もあると思うよ。
干物を食べない時代になってきている。
── 経営的な話もお伺いしていきたいんですが、五代目になる(会社を継ぐ)ことを意識したのはどのタイミングだったんですか?
二見 男3人兄弟の末っ子なんだけど、上の2人が継がない・継げないという話をしていたので、高校2年ぐらいのときには「自分がやるのかも」「やってもいいかな」という意識はあった。
大学も商学部に進学して、商売に結びつくようなことを考えながらやってたからね。
── 100年以上続いている会社を継ぐプレッシャーはなかったですか?
二見 プレッシャーを感じ始めたのは、専務になったあとぐらいからかな。組織上の話とか、人や数字を管理するようになってから感じ始めた。でも、数字を見るようになると、思い切ったことができなくなるから面白くないんだよね(笑)
── そういうものなんですか?
二見 事業を伸ばそうとか維持しようという話になると、なかなか冒険ができない。製造加工の現場にいた頃みたいに、アンチョビ作ったり伊勢海老の干物を作ったりとかさ、そういうことは段々と出来なくなる。
── それは歴史ある会社を背負ってるプレッシャーから…?
二見 プレッシャーもだけど、管理する事柄が増えた分、時間が取られることも多いよね。会合とか出なきゃいけない場面も増えるし。
でも、その繋がりの中で釜鶴の存在感が出てくるのも承知してるし、トップのやる仕事のひとつだなと思ってやってるかな。
── 会社全体の経営を考えたときにも、苦労している部分はありますか?
二見 やはり干物を食べない時代・魚を食べない時代になってきているのは感じる。それに魚自体も獲れなくなってきてるし。その結果として、干物の販売売上が落ちているという部分は苦しいところだよね。
飲食店の売り上げは、横ばいもしくは微増だったりするんだけど、店舗規模の限界がある。そう思うと、次の事業展開を…という話にもなる。
── 次の事業展開の構想もあるんですか? ちょっと気になる…。
二見 干物を買ってもらう・家で食べてもらうのではなく、熱海に来て干物を食べて帰ってもらえる場所を増やしていきたいとは感じてるかな。その上で、会社にとっても社員にとっても夢があると感じられるものをやりたい。
具体的には企業秘密だけど(笑)
── そうですよね(笑) 一輝瑠さんの次の代(六代目)のことは、お子さんと話をされたりしてますか?
二見 息子2人と娘1人がいるんだけど、無理に継がなくてもいいと思ってるかな。自分も父から継げとは言われてなかったし。だけど、継いでもいい準備はしてる。でもまあそれはそれでさ。継がせたいとか考えちゃうと、きっとどんどん保守的になっちゃうから。
あっ、でも飲食店の方は、板前さんの代替わりというか後継者の確保は考えなきゃいけない。
── 飲食店をやってる方は、皆さん苦労されてますよね…。
二見 そうだよね。育てていけるのが理想なんだろうけど、うちの店舗規模だと育てたい人財を脇に付けておくというのが難しい。
自分が声をかけてた今の板長が、あと何年やれて、次をどうしようかというのは、一番悩ましいところかもしれないね。
「文化人が食べる干物屋」を目指す。
── 同じ商店街を中心に活動している「NPO法人atamista」や「株式会社machimori」にも積極的に関わっていると思うんですが、その想いは…?
二見 やっぱりこのエリアで商売をする上で、エリアの使い方ということにはこだわる必要性は高いと思ってるからね。商店街という「線」の使い方、熱海市という「面」の使い方。そういう方向性を決めていくところに自分たちは入っていかなきゃいけない。
最終的にはここに人が集まるということを考えていかなきゃいけないし、それはひとりじゃ無理だから、一緒にやる必要性はあるかなと思う。
── 最近の熱海を外から見ていると活気が戻ってきているように感じるんですが、事業をしていて実感はありますか?
二見 ターゲットである客層からすると、うちは少しズレてるなという感覚はあるかな。魚を焼いて食べる習慣のない人たちが多い印象がある。なんと言うか…、おふくろの味に「煮付け」がない人たち(笑)
── あー……、わかる気がします。
二見 インバウンドで来る人たちも干物を買って帰れるわけじゃないしね。そういう意味でも、やっぱり気軽に食べてもらえる形は提供しきれてないなと感じてる。
── 熱海の課題でもあるんですかね?
二見 そうだね。そう一方で、釜鶴は「文化人が食べる干物屋」も目指さないといけないとも思ってて。熱海の中にトップ層が使う店を増やしていかないと裾野が広がっていかない。
元々は将軍や総理大臣が来て使っていた街なわけで、観光客が増えてきた今の状態に胡座をかかずにトップレベルのものも作っていく意識を持たなきゃと思う。
── たしかに今の熱海は文化人が使うような印象は薄いかも…。
二見 三つ星のお店があれば、周りに二つ星のお店も出来るし、一つ星の店なら行けるという人も来るようになる。今の客層に合ったものを考えるだけじゃなく、富裕層が来やすくなることも考えた方がいい。
満足できる宿と食事を揃えることもだし、交通インフラ的な部分も。極論っぽいけど、ヘリコプターで来れるような環境が整備されてもいいと思うんだ。
── 熱海にヘリで来る!なんて素敵な!! その結果として熱海全体の景気が良くなれば、釜鶴にとっても良いわけですもんね。
二見 うちも50人のスタッフとその家族を食わしていかなきゃいけないからね。私が子どもの頃は半分以下のスタッフで今より売上が多かった。それだけ儲からない時代になっているわけさ。
その中で、街の歴史も含めて魅力あるものを掛け合わせていく形を模索していかないきゃね。まだまだやれることもたくさんある。それが商売にもつながる。りょうかんも力を貸しておくれよ(笑)
── 僕にできることであれば、お手伝いさせてもらいます! 今日はお時間をつくっていただいてありがとうございました!
二見 一輝瑠(ふたみ ひかる)
1978年、静岡県熱海市生まれ。明治大学卒業後、熱海に戻り江戸時代から続く老舗干物屋「株式会社釜鶴」で働く。2001年、専務になったタイミングで五代目を就任。2011年には「株式会社machimori」を市来広一郎などと共同で設立し、まちづくりにも積極的に取り組んでいる。
(この記事は、独自制作した特集記事です)
文章/撮影:りょうかん
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