どうも、りょうかん(@ryokan_1123)です。
世の中は理不尽なもので溢れてます。そして、社会に出る以上、その理不尽さに耐えることを求められます。
私は基本的に理不尽なものからは逃げようとする人間です。今も、「新卒一括採用」や「同調圧力」から逃げることに必死ですし、これから先も「結婚制度」や「学校教育」から逃げ続ける方法を模索し続けるでしょう。
そんな私が『世の中が理不尽なもので溢れてる』ことに初めて気づいたエピソードを思い出したので紹介します。
唯一嫌いな食べ物
あれはたぶん小学校の4年生の12月下旬頃。小学生にとっては1年で最大のイベント『クリスマス』の直前でした。
当時の私は、給食が大好きでした。給食の時にはいつも残飯処理と称して残った給食を全て食べていました。人気メニューが出る日よりも残飯が出る不人気メニューが出る日の方が嬉しかった記憶があるほどです。
「将来は大食いチャンピオンになってるかもな!」と自他共に言うほど、クラスの中では大食いキャラが浸透してました。
そんな私にも、嫌いな食べ物がたった1つだけあります。
チョコレート
お残しは許しまへんで〜
学校給食は、なんだかんだ言いながらイベント事に合わせたメニューを出してくれます。
クリスマスも例外ではありません。毎年クリスマスに1番近い日にはデザートとしてケーキが出てきていました。そして、この年のクリスマスケーキは、残念なことにチョコレートケーキ。
私のチョコ嫌いは周知の事実だったので、クラスの友達は私のチョコレートケーキの争奪ジャンケンを始めます。
そこで担任の先生が一言。
「好き嫌いは良くないぞ。いいから食べろ」
なぜ食べなきゃいけないのか
唖然としました。食べなきゃいけない理由は「好き嫌いは良くない」と。
ふざけんな!って思いません?
「チョコレートケーキを食べない」ってある意味健康には良いと思うんです。
それに、私がチョコレートケーキを食べることで「私は嫌な思いをして」「友達は食べれず残念な気持ちになり」「先生は生徒から嫌われる」結果になります。こんなの誰も得をしないですよね?
今となれば、いくらでも論破することは出来るでしょう。今なら。
でも、当時小学4年生の私には大人を論破するほどの力はまだありませんでした。
結局、泣きながら食べました。昼休憩まで潰して。最終的には食べきれずに友達にあげることを認めてもらう始末……。
まとめ
小学4年で味わったこの出来事によって私は”理不尽”という言葉の意味を知りました。
それから13年。様々な理不尽を感じ、その都度いろいろな感情を抱いてきました。
もちろん、理不尽に屈して耐え忍ぶことを選んだ時期もありました。そして、闘った時期もありました。(後で理不尽さに気づいたこともありました)
今は、理不尽だと感じるものからはとことん逃げてます。
どれがいいのか、答えは人の数だけあるでしょう。
私はしばらく逃げるスタンスでいると思います。耐え忍ぶ時間も、闘う時間も、今はもったいないように感じるので。
皆さんは、どういうスタンスですか? 差し支えなければ教えてください。
では、また!
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