どうも、りょうかんです。
先日、後輩の女の子から相談を受けました。
「もう大学を辞めたい」
「本当は現代アートの道に進みたい」
私に出来るのは、自分の体験談を語ることだけでした。
自分がなぜ休学してるのか。自分が将来に対して何を感じているのか。自分が決断を下した時の心境。
それを伝えながら思ったことを、まとめます。
正解がわからないから不安を抱く
人が何かを決断する時、誰かにアドバイスを求めます。それは、不安があるから。
ここでこの決断を下すことが正しいのか正しくないのか。正解がわからない。答えがわからない。
だから不安を抱く。
そして、その不安を取り除こうと誰かにアドバイスを求めるのでしょう。
藁にもすがる思いかもしれないし、背中を後押ししてほしいのかもしれない。
でも、ただ1つだけ確かなことは、その人はあなたではなく、決断をした後の責任を取ってはくれないということ。
決断を下すのはいつだって自分自身
確かに決断を下すのにはものすごい勇気が要ります。
自分ではこの道が正しいと思っていても、固定観念や同調圧力によって、最初の一歩目を踏み出しにくいことはわかります。
でも、よく考えてみてください。
誰かのアドバイスによって大きな失敗をした。誰も応援してくれなかったので決断するのをやめた。
どっちも、決めたのは自分です。
やるにしろ、やらないにしろ、その選択をするのはいつだって自分自身以外にいません。
そして、その結果が例え良くなかったとしても、責任は決断をした自分自身にあるんです。全部、自己責任。
自分の意志で踏み出す一歩に価値がある
誰かのアドバイスに後押しされて、一歩を踏み出すのは簡単です。
でも、本当に大事なのは、自分の意思で踏み出す一歩。
例え、最初の一歩を誰かの力を借りて踏み出したとしても、次の二歩目は自分で踏み出さなくてはいけません。
誰かに背中を押されて一歩目を踏み出した人は、二歩目でまたつまずくでしょう。
自分で一歩を踏み出さない限り、誰かの力を借り続けないと前に進めなくなります。
一歩目を踏み出した途端に崖から落ちるかもしれない。一歩目は踏み出せても足がすくんで動けなくなるかもしれない。
それでも、自分の意志で踏み出す一歩には計り知れないほどの価値があるはずです。
決めた以上はやり抜くしかない
誰かの後押しで進んでる間は、楽でしょう。もし何かあっても、責任をその人に押し付けることが出来るから。
でも、自分で一歩を踏み出したら、そこから先は全部自己責任になる。全て自分が選択した結果だから。
暗闇の中、勇気を振り絞って一歩一歩足を進めてるのに、誰も責任は取ってくれない。
最初はツラいかもしれないけど、それでも途中で腹をくくる瞬間が必ずやってくる。
『自分が決めたことだ。やるしかない!』
決めた以上は、やり抜くしかないんです。それ以外に、自分の決断に責任を取る方法はないから。
最後に
相談したくなったら、いつでも相談してきてもいいです。でも、私に出来るのは、精一杯自分の体験談を語ることだけです。
アドバイスは出来ても、背中を押すことは出来ません。
大学を辞めて現代アートの道に進むことを選んだのであれば、それをやり抜くしかない。
大学を辞めずに頑張ることを選んだのであれば、その中で精一杯やっていくしかない。
何を選んでも、やることは一緒なんです。
あとは、自分が何を選ぶのか。どんな決断をしようと、私はその決断を心から応援します。
では、また!